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気仙坂

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“もう一人の私”発見
☆★☆★2008年11月21日付

「世の中には自分に似ている人が三人いる」
 そんな話をよく聞く。
 その昔、一世を風靡した『レッツゴー三匹』という漫才トリオがいた。何の因果か、はたまた怨みか、真ん中に立つ小太りのリーダーに似ている、と若いころは何度か言われたものだ。
 どうせなら、もっと格好いいイケメン・スターに似ていると言われてみたかった。しかし、無理を言っても仕方がない。年とともに “味のある顔”になればいいか、と今は悟りの境地にある。
 その後、私に似ているという人が現れない。冒頭の言葉からすれば、まだあと二人、似た人がこの世の中にはいるはずだ。
 顔のことはさて置き、私と完全に同姓同名の名前をこれまで見たことがない。私の苗字は決して珍しいわけではない。下の名前も探せば、ある。しかし、上も下も合わせて四文字全てが同じ字という名前には、今まで一度も出合ったことがない。
 気仙坂をはじめ、記事を書く参考にするため、人名をよくインターネットで検索する。
 何回か前に気仙坂で紹介した警察庁の若手官僚。
「もしかすると、彼の名前もあるのでは?」
 と思い、入力してみた。
 やっぱり、あった。十八件。
 全てが彼に関わるものだ。わずか二十八歳にして、これである。
 彼のことをインターネットで調べていて、突如、ひらめくことがあった。
「俺の名前って、インターネット上にあるのかな?」
 岩手の一隅、気仙に生まれ、その地でひっそりと暮らしている。いわば“名も無き民”の一人である。世をにぎわし、騒がすこともしていない。それだけに、インターネットの世界の一端を汚しているとは思えない。
 そうは言っても、
「もしかすると……」
 そんな期待が0・1%、興味が99・9%。自宅に帰って早速、自分の名前を入力し、検索してみた。すると、驚くなかれ、二十六件もヒットしたのだ。
 その一つを開いてみた。
 「2008年JPBA九州南支部プロアマサーキット」第四戦の試合結果、とある。
 JPBAは社団法人日本プロボウリング協会のこと。四月二十九日、人吉スターレーンを会場に五十九人が参加して行われたボウリング大会の結果一覧に、“私”の名前が七位で載っていた。
 また、「2008ポイントランキング」という別の項目を見ていくと、“私”の名前は七十五位にランクされている。
 当然のこと、私が九州にいたはずも、いるはずもない。
 初めて見つけた同姓同名の人は、北国・岩手から南へ遠く離れた火の国・熊本にいた。しかも、運動オンチの私と違い、ボウリングが得意な人らしい。
「同じ名前の人が、この世の中にはいるんだぁ」
 そう思うと、“もう一人の私”に出会えたようで嬉しくなった。
「いつか九州の同姓同名さんに会ってみたいな」
 そんな思いにさえかられた。
 ちなみに、一年前に気仙坂で紹介した出版社(東京)時代の同期で、ジャーナリストの「小田桐誠」氏。彼の名前を入力すると、瞬時にして約一万一千件もの情報にヒットする。改めて、我が友の凄さを実感した。
 自分や家族、親せき、知人、友人の名前を検索してみるのもなかなか面白いものだ。思いがけず、自分の名前を見つけたり、“もう一人の自分”に出会えるかもしれない。自分が知らないだけで、親族や知人、友人が超有名人だったりすることだってある。
 世の中、目も耳も覆いたくなるようなことばかりが多い昨今。たわいもない話だが、一興にいかがかと思い、書いてみた。(下)

坂本龍馬の「妻」佐那
☆★☆★2008年11月20日付

 坂本龍馬の「室(妻)」と刻まれたお墓のある、山梨県甲府市の清運寺を訪ねたのは、一年ほど前のことだった。
 そのお墓に眠る千葉佐那(一八三八〜一八九六)は、江戸時代の剣豪として名高い北辰一刀流の開祖、千葉周作の弟定吉の娘で、龍馬の許婚(いいなずけ)。気仙にルーツをもつ人物だ。そこで見聞きしたことは、いま振り返っても驚きの連続であった。
 龍馬の妻は、京都のお龍といわれるが、許婚だったとされる佐那は、「龍馬のもうひとりの妻」といわれる。
 実際に清運寺に行って見た、佐那のお墓には、本当に「坂本龍馬室」と刻まれていた。龍馬ファンも訪れているそうで、龍馬の人形が数体供えられていて、佐那が現代の人々の心の中に生きており、龍馬の「妻」として認められていることがひと目でわかった。
 佐那も北辰一刀流の剣士として知られた人物で、龍馬は土佐藩から江戸に出て、佐那の父親の定吉が開いた北辰一刀流千葉道場に入門した。
 北辰一刀流を編み出した千葉周作とその弟定吉の兄弟は、江戸最大の剣術道場を築いた。周作の生誕地は、陸前高田市気仙町。周作の姪の佐那のルーツもまた気仙地方。佐那と許婚の関係にあった龍馬にも興味がわいて墓参したのだった。
 その時に、清運寺の副住職さんから、龍馬の妻として佐那のインタビュー記事が載った明治二十六年の山梨日日新聞を見せられた。龍馬と婚約したいきさつ、龍馬との思い出を語っていた。そのような記事があったこと自体に驚いた。龍馬の許婚であった佐那をしのび、山梨龍馬会甲斐海援隊の主催で千葉さな子杯剣道大会まで開かれていた。
 この佐那の墓参を機に、「北辰一刀流開祖生誕地の気仙龍馬会」をたった一人で心の中で旗揚げした。
 気仙を生誕地とする北辰一刀流の千葉周作と定吉の兄弟および龍馬の許婚の佐那たちを、この世に広めていこうという決意を新たにしたのであった。
 最近放映されたTV番組「龍馬が愛した女達」(日テレ、日本史サスペンス劇場)で、龍馬の妻を名乗る女性として千葉佐那のことを紹介していた。佐那のお墓に、「坂本龍馬室」と刻まれていることまでは触れられていなかったが、北辰一刀流の門下生だった龍馬と許婚の佐那の存在が少しは知られることになり、これからもっと光があたっていくかもしれないと思われた。
 司馬遼太郎さんは「竜馬がゆく」のあとがきで、龍馬について維新史の奇蹟であり、「天がこの奇蹟的人物を恵まなかったならば、歴史はあるいは変わっていたのではないか」と書いている。
 司馬さんは取材旅行中に、龍馬が、佐那の生家の千葉家からもらった北辰一刀流の免許皆伝の伝書一巻を見ることができたのも、幸運だったと記している。
 佐那については、「維新後華族女学校の世話などをして生徒や卒業生に人気があった。勝気なひとであったが、ときどき急にだまりこんで終日ものをいわぬこともあったらしい。自分は『坂本竜馬の許婚者でした』と、あるとき卒業生のたれかをつかまえて急にそんな話をし、竜馬が『形見に』といって残して行った黒木綿の紋服の片袖をとりだしたりした。没年を筆者はしらない」と書いている。
 佐那の兄の千葉重太郎については、道場を経営するかたわら、鳥取藩にも士籍をもち、龍馬に刺激されて勤王活動に奔走し、明治十八年五月七日没した。「贈正五位、この贈位は、竜馬との縁によるものらしい」と書いている。
 別の資料によると、重太郎は、龍馬と共に勝海舟の門弟になり、その使者として行動したという。 
 一方、教養があったらしい佐那は、明治になってからは華族女学校(学習院女子部)の舎監をしていた。
 龍馬の妻とされるお龍の写真が現存しているらしいが、もうひとりの妻、佐那の写真もどこかに現存しているかもしれない。ぜひ見たいと願っている。(ゆ)

地域医療の均霑とは
☆★☆★2008年11月19日付

 今年四月、住田町の県立住田病院が診療所化され、ベッド数を六十五床から十九床に減らした「県立大船渡病院附属住田地域診療センター」として再出発した。
 昭和六年に初の県立診療所として開設された県立世田米診療所が前身。昭和十七年に県立病院第一号の県立世田米病院となり、その後県立住田病院から地域診療センターへと移行。町内唯一の入院施設として地域医療の中核を担っており、高齢化率37・45%(平成十八年度末現在)の同町にあって、規模は縮小されたとはいえ、入院できる医療機関があるということが、お年寄りたちの安心の拠り所の一つとなっている。
 しかし、診療所化から一年もたっていない中、病床がなくなってしまう計画案が浮上した。つまり町内から入院できる医療機関がなくなってしまう可能性が出てきた。
 診療報酬のマイナス改定や患者数減少などが暗い影を落とし、県立病院運営にかかる累積赤字が、十九年度末現在で過去最大の約百三十八億円となった中で、県は十七日に「県立病院等の新しい経営計画(案)」を公表。住田を含む五つの地域診療センターと八つの県立病院で合わせて三百九十六床を減らし、経営をスリム化させようとするものだ。
 これによると、住田など各地域診療センターには現在十九床があるが、計画案ではこれを二十一年度までにゼロとする方針。病院部門では利用率の低い病床の配置見直しなどをうたっており、気仙では広域基幹病院と位置づけられる大船渡を現在から三十床減の四百五十九床、高田を十三床減の五十七床とする見通しにあるという。
 今回の問題が浮上した際、住田地域診療センターの利用者の一人に感想を聞いた。七十代の女性で自家用車は持っておらず、近くにある診療所はとてもありがたい存在だという。「病院から診療所になってすぐ、今度は入院できなくなるとなれば、遠くない将来になくなってしまうのでは」と疑っていた。この人個人だけではなく、町民に共通する疑いである。
 一因として、診療所化の際における県の対応が挙げられる。住田病院当時、三人の常勤医師が在席しており、県は診療所化後もこの体制を維持するものとして町民に減床への理解を求めてきた経緯がある。
 しかし、ふたを開けてみれば、院長が転勤し常勤医師は二人に。一人は大船渡から応援で補完して三人体制を整えてはいるが、町民への“約束”を反故にした形となり、町ではことあるごとに一連の対応を批判してきた。
 前述の通り、県立病院の経営は非常に厳しい。最近をみると、十八、十九年度は連続して十億円前後の赤字を計上し、医療局によれば、今年度の収支見込みもかなり厳しいものとなっているようだ。
 さらに、十五年度に五百三十五人を数えた常勤医師は、十九年度に四百六十人まで減少。この間の減少数七十人は、一つの広域基幹病院の常勤医師が丸ごといなくなった数に相当するといい、医師確保の困難さが浮き彫りになっている。
 こうした状況を鑑みれば、新計画案による取り組みも甘んじて受けざるを得ないことなのかもしれないが、対象地域からの反発は必至だ。小さな地域の拠り所を細らせ、広域基幹病院に機能を集約することは、果たして医療局の基本理念とする「県下にあまねく良質な医療の均霑を」にあてはまるものだろうか。二十日からは新計画案に対して県民の意見を聞くパブリットコメントも始まる。一般住民にとっては寝耳に水といってもいい今回の計画案がどう着地するか、しっかり経緯を見守り報じていきたい。(弘)

酒ってなんて偉大なの
☆★☆★2008年11月18日付

 東海新報社へご奉公にあがって以来、腹に据えかねていたことがあるので言わせてもらおう。この会社は実によろしくない。何がよろしくないって、とにかく飲み屋から遠いのである。
 小高い場所にあって展望が良く、夏は涼しいのだが、どこへ行くにも車が必用なため「帰りに一杯ひっかける」には不便極まりない。高田と大船渡のほぼ中間に位置するので、高田在住の社員と大船渡在住の社員が一席設けようとした場合「どこで飲むの?」という心理的カケヒキがあって、幹事役は頭を悩ますことになる。よって、年に数回の会社行事を除くと、社員同士で交流する場はほぼ無いに等しい。
 同僚と気軽に飲み歩けないというのは、大変ゆゆしき事態である。自分が飲兵衛だから言うのでは(たぶん)ない。数十年間を過ごす会社生活。週五日も顔を合わせる社員同士が良質な人間関係を築くためには、無礼講の場を大いに利用する以外ないと思うからこそ言うのだ。
 人とのいさかいを何より避けたい、生来の平和主義である私(各方面からの反論は覚悟の上です)にも、苦手な人間というのはやはり確実に存在する。しかし最近は、「あえて嫌いな相手と飲みに行く」という荒業で、その“苦手”を克服しつつあるのだ。
 なんだそれ?とお思いになるだろうが、「良薬は口に苦し」、効き目はかなり強い。そりゃあ好きでもない者同士、シラフのうちは場に気まずい雰囲気が漂うわ、酒の味も何となくぼやけるわで、「こんなヤツ誘わなきゃよかったなあ」と思うことは往々にしてある。しかし、ここで(実際は酔っていなかったとしても)酔った勢いに任せて普段言えないことを言い、お互い罵り合ってみると、あら不思議。酒宴の翌日には、「なかなか骨のある奴じゃない」と評価アップしていたりするのだ。
 社内でつんけんした顔をつき合わせてハラの内に鬱憤を溜め込むより、ケンカも辞さない覚悟で本人に胸中をぶちまけたほうが(まあ、ある程度の自主規制をもってすれば)、案外遺恨にならないものだ。こちらとて批判されれば当然イラッとくるが、「ああ、お互い思い違いをしてただけだったのか」とか、「一側面だけ見て良い悪いを判断していたかもな」と気付かされることも多い。それに、陰で言ったり言われたりするよりは、はるかに建設的だ。
 言いたいことを言える人のほうが、仕事も頼みやすいのは自明の理。それが高じれば議論も活性化し、社内風土が向上。新しいアイデアも湧出する…という可能性はぐんと高くなる。
 近年、そうした効用を期して、社内の空きスペースを利用した「社内バー」を設置する企業が関東を中心に相次いでいるらしい。福利厚生の一環としてだったり、半分以上が社員の手作りだったりと形態はさまざまだが、どこでも「部や年齢をまたいだ交流、仕事のやりとりが活発になった」と好評のようだ。
 もちろん、こうした実例は今のところ稀有のものだ。電車通勤が一般的な東京都内近郊だからこそ実現する話であり、自家用車利用の多い気仙地方では、会社で一杯やって帰るなど不可能に近い。
 で、ここからは酔っぱらいの戯言と思って聞いてもらいたいのだが。社内に飲み屋を作るのが至難のワザなら、各地域の居酒屋に「社内バー出張所提携」をしてもらうというのはどうだろう!?
 たとえば、店に飲食代を大きく値引きしてもらう代わりに、企業は社員同士が月に四回以上、その店を利用する契約を結ぶ…とかね。使う飲み屋は月替わりにするのがいいかも。そうすれば夜の町も社内の人間関係もにぎわって一石二鳥!……ってのは、無理ですかねえ…(ま、酒に頼らない関係を築けるのが理想なわけだけれど)。
 さて、待ちに待った忘年会の季節。皆さんも周囲の人との下らないイガミ合いはやめて、どうですか、今夜あたりご一献。(里)

新会館の今後に期待
☆★☆★2008年11月16日付

 文化会館と図書館の一体型施設となった大船渡市民文化会館・リアスホールが、十五日開館した。十六日からは一般の見学や図書館利用も可能だけに、大勢の人たちが足を運ぶことになりそうだ。
 年毎に厳しさを増す地方財政の中、五十一億四千万円もの巨大事業が実現した背景には、大船渡市と旧三陸町の合併効果がある。特に両市町合併は平成十三年十一月十五日。「平成合併」では全国にも先鞭をつけるもので十億円を超す交付金を受け、また借金返済時に国が70%を負担する合併特例債の活用もあった。
 七周年を迎えた合併記念日に開館を迎え、これまで合併にかかわった関係者の思いには特別のものがあると思われる。同時に、十五日付世迷言欄でも言及しているとおり、長く市民会館がなかった時代に利用されてきたのがJAおおふなと会館。その困難な運営が、ひとり大船渡市農協に委ねられてきた功績には大きいものがある。
 改めて新会館をめぐる今後を考えると、大きな期待と同時にさまざまな事柄も頭をよぎる。気仙地方では初めてとなる千百席の大ホールは、従来開催できなかった規模の大会誘致も可能となる。これからは県大会と言わず、東北大会や全国大会、さらには国際規模の催事誘致も可能ではないか。
 その際、大切なのは容れ物の大きさだけでなく、外国語や手話の通訳はじめ有償・無償のボランティア育成が欠かせない。大会規模が大きく遠隔地の来客が多ければ、周辺観光に出かける人もあるだけに、資格を持つ観光ガイド育成も心掛けたい。
 当面の運用は“慣らし運転”ということだが、その間には音響や照明、舞台装置などの確認だけでなく、高齢者や障がい者、幼い子ども連れでも利用に不便がないか、十分な吟味を願いたい。
 大規模なイベントがある場合には、特に帰りが混雑する。それは日中だけでなく、夜間になることもあるだけに、周辺の通行にどのような影響が出るか。
 会館前の国道45号は、現在は四車線となっているが、将来計画では二車線化が想定されている。現行路線維持か、二車線化で支障がないかを見極めたい。会館前交差点の混雑緩和では、県立大船渡病院側から大船渡町方向に抜ける市道の早期整備にも期待したい。
 この種の会館につきものとなる稼働率や運営経費も気になるところだが、利用人数の実績を求めるあまり、市外の著名人誘致に力が入りすぎないことも望みたい。もちろん、有名アーティストや楽団などを地元で鑑賞できる良さを認めながら、気仙圏域内の人材発掘にも、自主事業として十分に意を用いてほしい。
 催事の地産地消を建設工事の視点で考えた場合、大型施設であっても、もっと地元業者が参入できるような工夫はできないものだろうか。今回の建設業者は、献血協力や工事中防護壁へのペイントなど、地元への配慮があったことを忘れてはいない。その仕上がりにも設計業者ともども、利用者が心にとどめることになるだろう。
 それを承知しつつ、仮に今後何かの大型事業を行う場合、入札の公平性確保を大前提としながら、やれるところは地元業者の技術で、やれないところだけ大手や外部に委託する“逆JV”の考えがあっても良いのではないか。
 新施設はまた、建設当初から市民参加型で進められてきたことは高く評価したい。「みんなで市民文化会館を創る会」を皮切りに、組織名称と役割を変えながら、具体的な提言を寄せてきた。
 当初は単独だった文化会館が図書館と併設になったこともその一つ。そうした市民参加の姿勢は新図書館への一万冊献本となって現れ、今後も引き続きの蔵書充実を願いたい。管理運営にはまた、市民目線で提言する会館運営審議会が発足してもいるが、願わくは今後とも利用者が気軽に声を寄せられるような配慮にも期待したい。そうすることで新施設が末長く愛されることを、切に望んでいる。(谷)

08野球シーズンあれこれ
☆★☆★2008年11月15日付

 「春先から八カ月に及んだ野球シーズンは、地域では沿岸南部杯少年大会で主要な大会が終了し、話題を呼んだ米大リーグも閉幕。国内ではプロ野球がシーズンオフになり、社会人単独チームが争う日本選手権、日韓中台のプロ野球覇者によるアジアシリーズを残すのみ。テレビ放送もないし、いまいち盛り上がらない。“寂しい秋”そのものだね」
 「野球狂のあんたにとっては人一倍そう感じるかも。でも、ここで今年を総括しておかないと来年の楽しみが半減するので振り返っておこうか。何といっても一番の注目は北京オリンピック野球。五輪野球は今回で最後とあって、いつになく関心が高まったけど、星野ジャパンは韓国、キューバ、アメリカの後塵を拝してしまい、メダルなしに終わったのが悔しいね」
 「まったくだ。ベストメンバーを揃えたはずだったのに、けが人が続出して満足なオーダーを組めなかった。そういう事情からすれば、帰国後に“バッシング”に遭った星野監督は気の毒だった。采配面など、ほかにもいろんな敗因が世間を駆け巡ったけど、十二日夕のNHK総合テレビ『クローズアップ現代』を見て愕然とした。韓国が優勝する訳が分かったよ」
 「それは見なかったな。どんな内容だった?」
 「細かなことは省くが、要するに国を挙げて臨んだということだ。国際大会で勝つため国内プロ野球のルール、たとえばストライクゾーンを国際標準に変更したり、五輪期間中は国内リーグを中断して最強メンバーを揃え、誰かが故障してもあらかじめ指定していたリザーブの選手が控えて万一に備えた。監督はきめ細かな日本のプロ野球でコーチ経験があり、ヤクルトで日本一になった野村ID野球を支えたコーチからデータ分析手法も取り入れるなどしていた」
 「うーむ。九戦全勝での金メダルはたまたまじゃないんだな。裏を返せば、それらが欠けていたのが日本チームだったということか。その反省点を踏まえて反転攻勢に出なければならないけど、残念ながら次回五輪には野球がない。そこで、誰か知らないが来春のワールド・ベースボール・クラシック、いわゆるWBCでリベンジをと言ったらしい」
 「でも、WBCはその場ではないとの立場を表明したのがイチロー。WBCは米大リーガーも参加してくる、文字通りの国別世界一決定戦。そのメンバーが出ない五輪とは別物だからね。イチローは星野さんが固辞したあとの監督選考に条件を付けるのもおかしいと発言したとか。国を挙げて、すなわち無条件でチーム編成をしない限り優勝なんてできないということを彼は知っているんだ」
 「なるほど。“すったもんだ”はあったけど、監督には原巨人監督が就任。当面は最強のメンバーをどう選ぶかが最大の焦点だが、本番までの体調管理やトレーニング、チームプレー練習、対戦国の分析、対策などやることは山ほどある。米国が野球発祥国の面目をかけて巻き返すだろうし、キューバだって目の色を変えてくる。韓国も強い。日本の二大会連続世界一には難関が多いね」
 「ところで、日本のプロ野球は西武の日本一で閉幕したけど、開幕当初に誰がこれを予測しただろうね。たしか素人二人の予想は、パがソフトバンク、日ハム、ロッテに他三チームがどこまで食い込めるか、セは中日、阪神、巨人の三つ巴だった。セは終盤に巨人が抜け出し、おおむね“想定内”だったが、西武はプロの評論家も揃って最下位候補。全員が丸坊主にならなくちゃね」
 「もうひとつ触れておきたいのが、ヤクルトの四番を打った専大北上高OBの畠山和洋一塁手の活躍。2割7分9厘、9本塁打、58打点と、中心打者としては物足りないが、来年以降のさらなる飛躍が期待できそう。わが“気仙代表”の志田宗大外野手は四十試合、2割2分台にとどまったが、守備で貢献。打撃面を向上させてレギュラーの座を奪い取ってほしいな」(野)

真の心の豊かさとは
☆★☆★2008年11月14日付

 先月の本欄で紹介した文庫本、『持たない暮らし』(下重暁子著)の続きを書かせていただく。「シンプル・イズ・ベスト」「心の豊かさ」の意味を教えている本だ。
 前回は中盤までだったが、今回は後半部分について紹介させてもらう。後半にも共感する内容が多かったが、とても実感はできない部分があったりと、人生のベテランならではの筆致を感じた。
 中でも、最終章の「最後までシンプルを貫く生き方をしたい」との趣旨の一文には驚かされた。確かな信念を持ち、そうした境地に達した人なのかと考えるしかなかった。「一切の執着を絶つ」「自分を映す心の鏡を持つ」なども、自分の考えではとても及ばないながら、なぜか背筋を真っ直ぐにさせられるような気になった。
 「不良老年」という言葉もあった。著者の言う「不良」とは悪い意味ではなく、「型や枠にはまらず、自由でいること」だという。人生経験を積み、一定の年齢に達して、初めてそうした自由な心境になれるのだろうか。
 「立つ鳥跡を濁さず」は好きな言葉の一つ。本の後半部分とも共通している気がした。人間は慣れた場所にいてこそ、安心感もあり、心のやすらぎが得られる。しかし、そうした自分の居場所から、時には離れなければならない時もある。
 安住の地に別れ新天地を目指す時、後に迷惑をかけるようではならないと教える。これは、身の回りの整理とかの問題もあるのだろうが、それよりは自分の心の整理を指しているのだろう。人と人との関係なしには生きていけないのが人間だけに、この人間関係でいかに助けたり、助けられたりするか。
 少し話は変わるが、筆者も臓器提供意志表示カードを持っている。不摂生な生活だから使える臓器は限られるかもしれないが、これまでいろいろな形でお世話になることが多かった。何かの時、誰かの役に立てるならと考えてのカード作成で、おそらくカードを持っている多くの人も、他人の厚意に感謝したことのある人が多いのではなかろうか。
 誰しも自分を大事に考えるが、時として物への気持ちが強くなる時がある。しかしその時でも「愛着」なら物を大事にするという意味だけに良いのだが、「執着」となっては逆効果。お金に関しても同じことが言えるのではないだろうか。
 「幸せな小金持ち」をテーマにした小冊子が手に入った。タイトルどおり、それにも似たような内容が書いてあった。普段、お金にはあまり縁がないだけに、読むと大金などなくても、いやない方がいいのかな、などという気持ちにさせられた。
 ともかく、本を読むことで「物は使うほどに輝く」「ほんとうの贅沢とは物の命を使い切ること」と教えられた。趣味の楽器や音響機器がたまり、しまっておいてばかりでは可哀想に思えてきたので、人に譲ったり、貸したり、福祉団体に寄贈したりしている。
 しまい込んで錆び付かせてしまうより、誰かに活用されれば楽器ならずともうれしいはずだろう。物の気持ちになって身辺を見回せば、せっかくあるのに使っていない物があまりにも多いことに気付く。所有欲を減らし、物を持たなくても自由な心の暮らしを目指したいとは思うが、なかなかそうはいかないのも現実。
 福祉分野の取材も多いだけに、最近は「手話」にも関心がある。話し言葉に代わる手話が、いつか世界共通語になる日を想像し、手話について読者に紹介できるようになったらと考えたりしている。
 最近、気になっている事にはまた、「癒し」もある。それはペットであったり、植物であったり、音楽であったりと人さまざま。それだけ世の中の動きが早く、癒しが求められる時代になっているということなのだろうか。(川)

不正経理への不信感
☆★☆★2008年11月13日付

 岩手県をはじめ、全国各地の自治体で国庫補助事業に絡む不正経理が表面化した。陸前高田市と住田町でも自主的に調査してみたところ、過去に「不適切な支出」が行われていたことが分かり、住民の間で行政に対する不信感が募っている。
 陸前高田市では、庁内各部署ごとに十五年度から十九年度までの五カ年にわたる支出の内部調査を実施。補助事業の支出伝票に記載されている品目が実際に納入されているか、あるいは現在の備品が適切な方法で納品されたかについて担当職員から聞き取りした。
 その結果、水産、農林、都市計画、建設、下水道(現都市計画)の五課で、一部の支出伝票に記載されていた「消耗品」が実際には納品されず、「備品」を購入していた。
 具体的には、この五年間にファイルや筆記用具を買ったことにして、スクリーンを含むプロジェクター(三十六万円)、カラープリンター(二十万円)、シュレッダー(十六万円)、デジタルカメラ(六万円)など十四品(合計百三十六万円)を購入する「差し替え」が行われてきたことが判明した。
 一方、住田町でも同様、この五年間のうち十八、十九年度に「差し替え」が行われ、トナーなどの消耗品を買ったようにして測量機器(二十四万円)とパソコン(九万円)の備品を購入していた。
 両市町とも、事務用品を購入したように装い、業者にお金をプールする「預け」や職員の私的流用という悪質なケースはなかったという。
 記者会見した陸前高田市の中里長門市長は、このような事態が発生した背景について、「本市の財政が厳しく、なかなか備品が購入できない状況にある」と説明。その上で「職員の『やりくり』の気持ちから起こったものではないかと思う」とかばった。
 しかし、同市でさらに問題なのは、十五年度から毎年度行われてきた点で、十五年度二品、十六年度一品、十七年度一品、十八年度六品、十九年度四品と続いた。これは職員の間に「補助事業の事務費を満額使い切ろう」という意識があった表れと言われても仕方がないのではないか。
 中里市長は「予算を使い切るために、職員が不必要な物まで買っていたとは思えない」とし、「たとえ必要な物であっても消耗品と備品の区別があるので、不適切な支出といわざるを得ない」と強調。臼井佐一総務部長は、このような差し替えは上司も監査委員も見抜けない組織体制にあることを説明した。
 このほか、白川光一財政課長は「十五年度以前については書類が残っていないものの、(不正経理が行われた)可能性はあると思う」と話しており、以前から同様の不正経理が慢性的に行われてきた疑いが浮上している。
 これらの行為は、見方を変えれば「公務員の知恵」ともとれるものだが、不正なものであることに間違いなく、経費の虚偽申告と言える。たとえ無駄に使ってはいないにしても、公務員である以上、扱っているお金はすべてが公金であり、住民の貴重な税金であることを再認識すべきであろう。その上で、二度とこのようなことがないよう、組織のチェック体制を見直してもらいたい。(鵜)

筑紫哲也氏の「遺言」
☆★☆★2008年11月12日付

 ほぼ半世紀にわたってジャーナリズムの世界に身を置き、戦後日本の姿を論評してきた筑紫哲也氏が亡くなった。
 昨年五月、メーンキャスターを務めていた報道番組「NEWS23」の放送中に自ら肺がんであることを告白。治療に専念するため休養し、約五カ月後、「がんをほぼ撃退した」と番組への生出演を果たした。
 その元気な姿に「このまま全快に向かえば…」と願っていたが、がんはやがて全身に転移。現場復帰に向けた闘病もかなわず、七十三年の生涯を閉じた。
 政治、外交、経済から映画、音楽、スポーツまで幅広く論じる博学多才な知識人であり、文化人でもあった。新聞、雑誌、テレビという垣根を越えてメディアに生き、「日本と日本人の座標軸を提示し続けた」と、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は亡き先輩を称えた。
 「NEWS23」ではさまざまなニュースにかかわるキーワードを掲げ、私的な意見を交えながら世相を論じる『多事争論』で存在感を示した。その論への批判や非難をおそれず、争論のための問題を提起し続けた。このコラムコーナーを欠かさずに見ていた自分は、筑紫氏の立ち位置(座標軸)を確認し、自分の考えや問題意識との距離を測っていたような気がする。 
 「多事争論」という言葉は、福沢諭吉『文明論之概略』の一節、「自由の気風は唯多事争論の間に在て存するものと知る可し」から来ている。
 一つの論が社会で圧倒的な力を占めると、たとえそれが疑いのない真理であっても大事なものが失われる。その大事なものが「自由の気風」であり、それを保つためには違う意見を持つ多くの人が議論し合うことが大事だ、と福沢諭吉は説いた。
 小異を捨てて大同になびきやすい日本人の国民性。ひとつの方向になだれを打ちやすい社会の体質。戦争体験世代のジャーナリストとして筑紫氏は、そこにある種の危険性を感じていたのではないか。
 自由の気風のない軍国主義の日本に戻ってはいけない。日本を二度と戦争の道に走らせてはならない。筑紫氏はそういう決意を持ち、「多事争論」を排するあらゆるものに言論を持って立ち向かっていたように思う。
 福沢諭吉没後百年に当たり、筑紫氏はかつて、朝日新聞の「オピニオン」にこういうコメント(要旨を抜粋)を残している。
 「近ごろ世論調査に『90%』前後の数字がひょいひょいと出てくることに、私は恐怖を感じている。90%というのはほとんど『異論』を許さない、ということであるが、十分に『論』じられていないということでもあると私は思う。『90%』が横行する世の中では強力な指導者を装う者が現れ、『変える』とさえ唱えれば支持を集めかねない。何を、どう変えるかが本当は問題なのだ。そのためには百年前にもまして『多事争論』が要る」
 民主主義の現代にあっても、その健全性は少数派への寛容さに支えられていることを筑紫氏は強く意識していたに違いない。ジャーナリストは、新しい価値はまず少数によってもたらされる、正しさはいつも少数から始まる、という歴史的事実に謙虚であるべきと自らの襟を正し、「多事争論」の必要性を強く訴えてきたのだろう。
 筑紫氏の訃報に多くの戦友、同志が無念の涙を流した。報道に携わる一人として「多事争論」、そして「自由の気風」を守る気概を貫くことを大先輩ジャーナリストからの「遺言」と受け止めたい。合掌。(長)

食料自給率の真っ赤な嘘
☆★☆★2008年11月11日付

 こんなにも真剣に日本の将来を心配している人物がいるのかというのが正直な読後感だった。小池松次著「餓死迫る日本」(学習研究社)がそれだ。
 著者の小池氏は、昭和三年生まれ。東京教育大学卒後、国際比較教育研究所長や教育評論家などを経て、現在進学塾「あすか会研究所」を主宰、日本人が失ってしまった心の豊かさを取り戻そうと孤軍奮闘しているが、こうした取り組みの中で、政府の発表する日本の食料自給率なるものが、いかに表面を繕ったまやかしであるか、実例を挙げて告発したのが同書である。
 読み進む先から、われわれ国民はいかに単純に政府発表の数字を信じてきたかと愕然とさせられ、このままではまさに餓死という深刻な事態を避けられなくなるだろうと、これまでの能天気さを痛棒で頭を殴られる思いで反省させられた。
 同書が、ただ危機感を煽るという「きわもの」ではないことは、実際に全国の農村を歩き、資料をあたり、実験をし、かつ対策を研究して導き出したその結論は、専門家も反駁できないであろう緻密な「証拠」によって裏打ちされていることからも明らかで、十分というよりも十二分に説得力を備えている。
 結論から先に言おう。まず日本の食料自給率が39%(その後農水省は40%に達したと発表)という数字を四割と概括して、その数字がいかに欺瞞に満ちているかを同氏は剔抉(てっけつ)する。
 なるほどカロリーベース(カロリーを基準に算出する)では四割で、この数字だけを見れば発表通りだ。だが、と同氏は数字のロジック(論理)を論破する。
 食料を生産するには農機具が必要である。その農機具を動かしたり、ハウスの温度管理、生産物の輸送その他に使われる石油を始めとするエネルギーの自給率はわずか6%。つまりこれは「他給」である。そして肥料も農薬も畜産に不可欠の飼料なども、その大半を輸入に依存している点を無視して自給率を語るのは、本質を隠した「便法」いや詭弁でさえあると同氏は憤慨する。そして米の自給率が100%などというのは真っ赤な嘘、肉も魚も野菜も牛乳も卵も、日本人の食卓に上る食べ物の全てが、輸入品及び生産過程における必要資材・原料のことごとくが輸入に依存している現状では四割どころか、限りなくゼロに近いと断言するのである。
 そのために同氏は国内の食料生産に必要な石油、原材料、農薬、肥料、除草剤その他の輸入量を数字を挙げて事細かに分析し、この輸入依存体質が改まって真に自給と呼べる体制の確立を急がなければ、一旦輸入のパイプが詰まった有事の際には、大変なことになるとそんな事態を想定、列強による石油供給停止が発端となった先の戦争の経緯、江戸時代国内で起こった大飢饉などの歴史的背景まで詳しく研究し、「そんなことは起こりえない」という現代人の太平楽に警鐘を鳴らすのである。これはまさに評論家西尾幹二氏が帯で推薦するごとく「今の時代に最も必要な警世の書である」ことは論を待つまい。
 同書が単なる警世の書にとどまらないのは、国民の注意を喚起するだけでなく、今後の「処方箋」まで論述しているところで、そのために自らも農業に携わり、今後の自給方法を練り、そのための具体的対策、はては救荒作物の研究まで実践していることで、ここまで徹底した論究はまさに飢餓対策のバイブルと呼んでも差し支えなさそうだ。
 当方が最も惹かれたのは、「放置荒廃山林を『宝の山に』」という項で、以前から関心の高い研究課題だったから、大いに同感し、しかも机上の空論になりがちな素人の蒙を啓いてくれるその研究の具体性には思わず膝を打ってしまった。
 餓死などあり得ないと、平時ならではの楽観が許されている現在だが、ありとあらゆる「依存輸入品」がストップしたら、この日本はまさに「砂上の楼閣」となることを痛感させられた。(英)