HOME > コラム > 世迷言
世迷言

◆日付
◆キーワード


☆★☆★2014年11月28日付

 休火山というものはない。いつ爆発、噴火するかわからないのだからすべて活火山と考えるのが正しい。というのが近年の定説となったが、まぎれもない活火山の一つである熊本の阿蘇中岳が25日噴火し、どうやら全国的に火山の活動期に入った様相を見せている▼御嶽山の大噴火で多くの犠牲者が出たのは、富士山に次ぐこの高峰が近年休止状態だったための油断があったからに外ならないが、何の予兆もなくいきなり噴火するというのは想定外であったことも確かで、昭和54年の小噴火以後比較的安定していたことの「慣れ」が予期せぬ結果を招く元になったのだろう▼阿蘇中岳も危険視はされているものの、「小康状態」が長く続いていると「こんなものか」という油断も生まれよう。阿蘇火山群を構成する一つとしてのこの中岳を先日訪れたばかりで、火口を見物する予定だったのだが、あいにく濃霧に覆われていてまさに五里霧中だった▼その時火口近くまで近づいていて突然大噴火に見舞われたものなら今頃は「よりによって何で阿蘇まで」ということになっていただろう。運が良かったなどと大袈裟には考えたくないが、少なくとも火山活動が活発化している今後は火山地帯の訪問には念を入れた方がよさそうだ▼先日も蔵王山で火山性微動が観測されたばかり。そこへもって中岳の噴火である。過去の歴史を見ても火山の噴火が全国的に連動したケースが少なくなく、これは地下のマグマが「通底」している証拠だろう。「対岸の火山」視はしないことだ。

☆★☆★2014年11月27日付

 この世には絶対安全な場所などないようだ。長野県で震度6弱の大地震が発生、幸い死者こそ出なかったものの44人が負傷、住宅や公共施設、インフラなどに少なからぬ被害があった。東日本大震災以後、断続的に起こる自然災害は何を訴えたいのか?▼御嶽山の大噴火があったばかりなのに今度は追い討ちをかけるような大地震災害に見舞われた長野県。長野冬季五輪のジャンプ競技ですっかりなじみとなった白馬村の名前をまたこんな形で聞こうとは思いも寄らなかったが、大震災後色々と支援をしてくれた善光寺が今度は被害側になったことは気の毒としかいいようがない▼来年4月に7年に1度の御開帳を迎えているのに、灯籠の崩壊や位牌堂の位牌列落下散乱など復旧に時間のかかる作業が控えており、地元の商店街などは御開帳時の賑わいに影響が出なければいいがと心配していた。1848年に発生した「善光寺地震」では折しも御開帳の時期とあって参詣客でごったがえしていたことなどもあり、9000人近い死者を出し、全壊家屋も2万2000件ちかくに及んだという▼いわばここも大地震の巣であり、こうした歴史的教訓もあって死者を出さずに済んだとはいうものの、断層が散らばっている地帯は抜本的な対策があっていい。しかし2世紀近い年月はそんな大地震があった歴史も事実も薄めてしまっている▼東日本大震災後長野県を訪れる機会があり、列車の窓から見るのどかな風景を羨ましく思ったのだが、自然災害は時と場所を選ばない。

☆★☆★2014年11月26日付

 トヨタがついに未来カーの発売にこぎつけた。むろん燃料電池車の「MIRAI(ミライ)」のことである。何といっても世界初というその革新性もさることながら、日本語で未来と名付けたところにパイオニア(先駆者)としての自信が感じられて、こちらまで誇らしくなった▼化石燃料に依存するいわばガソリン車に代わっていずれエコカーの登場は時代の要請という認識は誰もが持ち合わせていても、実際に1億円以上もする実験車が登場した10年以上も前は実用化など遠い先のことと思っていたが、予想以上に早い実現となったことは、まさに未来を先取りしたいという同社の夢がその原動力になったものだろう▼まだ723万円という価格だが、国の補助金を差し引くと520万円程度になる。トヨタ王国≠フ愛知県ではさらに県独自で補助を加算し、普及の追い風にしたいとしているが、15日の発売までに200台の予約があり、大体年間700台の販売を見込んでいるというにしても、それは内輪な見積もりだろう▼なぜかといえば、日本人は総じて「新し物好き」で、普及のネックとなる水素ステーションの整備が予想以上に加速し、それに伴って購入者も加速度的に増えるのはまちがいないからだ。ホンダも市場投入を急いでおり、2社の競争が相乗効果を生むからなおさらだろう▼まずは都会の事業者や富裕層に競って買い求めてもらうことである。そして小生の車がポンコツになる頃には価格が4分の1ぐらいになろう。そこで買い換えよう。

☆★☆★2014年11月24日付

 大船渡市長選に有権者の審判が下り現職の再選が決まった。戦いが済めばあとはラグビーで言うところの「ノーサイド」。戦いを終えたら両軍のサイドが無くなって同じ仲間となるという意味で、両陣営もそう心掛けてほしいものである▼同市では市長選と市議補選が同時に行われたが、これが国政選挙と重なったというのは単なる偶然としても、被災地の復興のために国会議員も力を尽くせという神の思し召しがそこにあったと勝手に解釈してもよかろう▼先日福島の避難指示区域の様子がテレビで映し出されていたが、復旧どころかがれきがそのまま放置されている現状を目の当たりにして気の毒でならなかった。それを考えると当地はまだ救いがある。元の場所に戻りたくても戻れない悲しさ、もどかしさは当事者でなければわかるまい▼親子、親戚、知己を四分五裂にした戦争も解散までには追い込まなかった町内会が、この震災はその存在、結束を奪ってしまった。わが古巣の地区も神社の例大祭には祭組を出すなど不可能となり、旧町内会の集まりも「これが最後」と別れを惜しみ合った▼このように震災はコミュニティというものをバラバラにしてしまった。かといってそのままでいいわけがない。これから新生の街が姿を整えていくにつれ、そこに新たなコミュニティが形づくられていくのである。当然人と人の新しい絆がうまれていく。これを大事に育てていかなくてはなるまい。だからこそそこに求められるのがまさしく連帯という共通意識なのである。

☆★☆★2014年11月23日付

 目が覚めて「ああ、夢だったか」とほっとすることは誰しもが経験していることだろう。特に重大な犯罪や過失を犯したり、大恥をかいたりした夢の後はなおさらである。しかし大震災後は現実と認識していても白昼夢を見ているような錯覚に囚われることがしばしば▼3年8カ月も過ぎてなお現実と夢との境界があいまいになったままなのは、いくら自然のエネルギーというものがすさまじいとしても、こんなに巨大な破壊が実際に起こったという目前の事例をにわかに信じるほどの許容能力を現代人は持ち合わせていなかったからではあるまいかと思う▼文字で記録されるようになる以降の大災害は過少に申告されているきらいがあり、明治29年、昭和8年の大海嘯も風化しきっていた。だからこそ、今回のような大津波が現実に襲来するなど予想の範疇をはるかに超えていたといっても過言ではあるまい。そこに油断が生まれる素地があったといえよう▼実際、被災現場を歩いてみるたび、今なお「信じられない」という思いが新たにわいてくるのは、自分の人生体験と対比して考える習性がもたらす想像力にはおのずと限界というものがあるからだろうか▼今進められているかさ上げ工事を見てもそうである。高さ14bもの土地が忽然と姿を現すなどどう考ても空想の世界でしかなかった。この上にさらにかさ上げしピラミッドを作るなど造作のないことで、そんな土量を運び、盛る手段と技術でまさに「天空の城」が出来上がりつつあるのも信じられない思いだ。

☆★☆★2014年11月22日付

 爺むさいことばかり書いていると若い人からは嫌われるだろうが、新聞の読者は中高年が圧倒的といわれるのでこの世代にすり寄って「同病相憐れむ」ことも時には必要だろう▼70歳以上が免許更新時に受けなければならない「高齢者講習」というものを先日体験して、自分では気付かないうちに五感も運動能力も衰えているのだなということをいやでも実感させられた。視力低下は自覚済みだが、視野も狭窄化し、動体視力も思った以上に落ちていた▼実地運転でコースを走ってみてその昔、免許を取りに盛岡まで出かけたことを思い出した。その時はコースを間違えて途中から降ろされてしまったが、今回も短いコースすらあやふやだった。気だけは若いつもりでいるが、加齢と老化の関係は着実に進んでいる▼昨日はなめこ汁を作るはずが同時にワカメまで入れていて、注意力というものがここまで散漫になっているのかと愕然としたが、おかげで「具沢山」の味噌汁を味わえたのはケガの功名?というものか。いずれこうして嫌われる老人となっていくのだろうが、だからこそ若い人に一言▼「なめこワカメ汁」を作らずに済む秘訣は若い時に脳を鍛えておくことだと思う。老生のように若い頃それを怠った結果がいま顕著に現れていることはまちがいあるまい。その鍛錬のためにはまず新聞を読む、本を読むことであろう。それは脳細胞を活性化し、加えて知識を増やしてかつ貯蔵することにつながる。と、気付くのは遅すぎたが、だからこそのお節介。

☆★☆★2014年11月21日付

 先日行われた日米野球第4戦の試合終了後、侍ジャパンの一塁側ベンチとは対照的に、メジャーの三塁側ベンチはゴミだらけだったとスポーツ紙が写真入りで伝えていた。侍側は試合にこそ負けはしたが勝負に勝った。モラルという勝負に。これが逆だったら私は日本人をやめている▼写真では細部まで分からないがしかし汚れの差は歴然としていた。メジャー側のベンチは恐らく米国人らの応援団が陣取っていたものと思われるが、「ペットボトルや紙コップがそこら中に捨て置かれ、地面には噛みたばこを吐き出した唾液なのか、コーヒーをまき散らしたのか、茶色い液体が…」とある▼さらに「彼らがひっきりなしに口にするヒマワリの種の殻が無数に散らばり、足を踏み入れるのをためらうほどの状態だった」と続き、最後は「米国の球場では見慣れた光景とはいえ、普段は軽く拭き掃除するだけで済む球場関係者は目を丸くし、文化の違い≠ノ呆然自失の体だった」と結んでいる▼幕末に日本を訪れた外国人は日本人のきれい好きとモラルの高さに驚いているが、その伝統は今もきちんと受け継がれている。それがこの国の国柄というもので、掃除は業者の仕事、後は知らんという感覚は「メジャー」な国特有のものだろう▼飲食ができる運動場では試合後ゴミは袋に入れて所定の場所に捨てるという「常識」を日本人は共有しているが、それは公の場も家庭と同じと考えればこそ。そういう公徳心も次第に薄れてきているがそれでもまだまだ健在だ。

☆★☆★2014年11月20日付

 「挽歌」とは、人の死を悼む詩歌のこと。元々中国で柩を担ぐ人が歌う歌の意から出た―と辞書にある。昨日の新聞、テレビは83歳で亡くなった俳優の高倉健さんを偲ぶ特集一色だった。これだけ挽歌に囲まれればまさにスター冥利に尽きるというものだろう▼黙っていてもこれだけ存在感のある俳優は珍しい。まさに外見通りの人物だったという。「男らしい男」と言うとジェンダーフリー(性差否定)論者からにらまれそうだが、やはり男らしい男は男から見ても文句なくいい。「らしさ」とは装うことではなく内面が自然とにじみ出すものであるはずだ▼デビューしたての頃、イケメンの大学生役を演じた映画を初めて見た印象がずっと尾を引いていたのだから、後に大スターとなる片鱗がすでにのぞいていたのだろう。実際何を演じても絵になり、おそらく石原裕次郎と2人が日本映画史に残る人気男優の双璧となることは疑いない▼健さんに対する挽歌の陰に隠れて衆院解散という大ニュースもすっかりかすんでしまった。消費税を5%から8%へ引き上げる際も安倍首相は悩み抜いたものの結局は大勢に押し切られた形だったから、10%の再増税は先送りと見ていたがその通りとなったのは、「床屋政談」通り▼解散総選挙の行く先はともかく、これは政界再編成をいやでも促すことになる。すでに「みんなの党」は解党することに決まったが、一時はあれほど注目された党の末路としては哀れを禁じ得ない。同党に対する挽歌が聞かれないのもまた哀れだ。

☆★☆★2014年11月19日付

 旅の楽しみの一つに訪れる先それぞれの料理があるが、期待はずれに終わることが少なくない。全国のごく一部しか知らないくせにそんな結論を下すのは早計だが、その少ない経験の平均値とすれば「おらほ」の食は上位にあるのではないかと思うのである▼今や全国の味を紹介する雑誌やムック(特集)の数は相当数に及ぶが、そのグラビアを眺めるといずれもヨダレが出そうなシズル感(訴求性)に溢れ、そこを訪ねたら是非味わいたいという気にさせてくれる。だが、現実に対面して見るとあれは財布と相談しなくてもいいレベルの味だと知らされることが多いはずだ▼世界三大漁場を近くに抱える当地は当然のこととして新鮮な魚が手に入り、刺身が大好物の当方はそんなありがたさを意識せずに箸を付けているのだが、一歩外へ出て内陸の県などを訪ねたものなら、刺身と言えば「鯉こく」ぐらいな場合があり、その時のガッカリ度は表現しにくいほど▼海の魚が出されてもマグロなど光沢を失っていて、食欲が起きないこともある。その点、われわれは贅沢な暮らしをしているのが現実で、これはいくら感謝しても感謝仕切れるものではない▼煮付け用にスルメイカを買ったついでにヤリイカも求めた。これを割くのは初めてだが、われながら格好良く刺身できた。いやこの味の素晴らしさ。これはまさに三陸の恵みである。かつて福岡で活魚のヤリイカを食べて、ソーメンのごとき蛋白さに産地の違いを実感したが、この違いを商売にしない手はあるまい。

☆★☆★2014年11月17日付

 目の前を素敵な車が走っている。何という外車なのだろうと近づいて見ると、国産車だった。そんな経験が多くなった。日本もようやくデザイン力の大切さを認識し始めたようである▼車であれ機械であれメイドインジャパンが機能的に優れていることは世界が認めるところである。しかし世界的ブランドでもデザインという点で今ひとつというところがある。多分に実用一点張りという傾向があったのは追いつけ追い抜けという過程でやむを得なかったのかもしれない▼中でも車がそうで、生産台数や販売台数で見れば日本はすでに世界のトップにあるといっても過言ではないが、高級車の販売台数では欧州車の後塵を拝してきた。車本来に求められる要件は十二分に満たしているものの、これを絶対欲しいというユーザーの欲求に応えられる車がどれほどあるかというと、平均点には達していまい▼特に日本車は横並び傾向があり、一つの先駆的なデザインが人気を呼ぶと同じような車が各メーカーから出されるというところがオリジナリティーを尊ぶ欧州車との違いであろう。一目見てメーカーと車種とがすぐ分かるような特徴、そんな車がそろそろ登場してもいい頃だろう▼中国の富裕層が欲しがるベンツ、アウディ、BMWなどではなく日本の「○○」となる日が来るのは案外早いのではないかと思えるのは、時折はっとするほどの「バックシャン(後姿美人)」を見かけるようになったからである。次は表から見ても唸るようなデザインの車を送り出してほしい。


| 次のページへ >>