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世迷言

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☆★☆★2014年08月31日付

 東京電力福島第一原発の所長だった吉田昌郎氏(昨年7月死去)から事故発生後の事情、状況を聴取した「吉田調書」の全容を産経新聞に続き読売新聞も昨日報じたが、当時の首相だった菅直人氏の対応がいかに適切さを欠いていたかが浮き彫りにされている▼同調書は政府の事故調査・検証委員会が同所長の肉声をまとめたもので、これまでは公開されていなかったが、内容がひとり歩きを始めたため政府も公開を決めた。それは約9割の所員が吉田氏の指示に反して「撤退した」という朝日新聞の記事によって、「これは日本版セウォル号事件だ」と世界中に喧伝されることになった誤解を払拭するためもあろう▼この公表によって所員たちは決してわれ先に逃げたわけでないことが明白となり、その名誉が保たれるだけでなく、日本人の責任感の強さというものが再確認される意義は決して小さくない。船長が真っ先に逃げるようなインモラルが排されてきたこの国ではたとえトップでなくとも職業的な使命感を共有している証拠が提示されたのである▼しかるにである。国の最高責任者である菅元首相の行動は、冷静に対処するどころか、ただわめき散らすだけで、「自由発言できる雰囲気じゃなかった」という調子だったから、吉田氏をして最後は「あのおっさんがそんなのを発言する権利があるのか」とまで言わしめている▼その菅さんは、当時の不手際をさておきあたかも最善の手をつくしたように自己弁護しているが、吉田氏の亡き声がすべてを語っている。

☆★☆★2014年08月30日付

 「必要は発明の母」というのはまさに至言で、その通りの物が発明されてきたからこそ、現代の便利さがある。しかしこれはまだまだ出てこないだろうと思っていたら、あるのだ。これは大きな福音だろう▼その「これ」は、鉄の板を自由に加工できる道具のことである。元々工作は不得手のダメ人間だが、もし自分で鉄を加工できるなら作りたい物は山ほどある。だが、それをできる道具となれば昔からアセチレントーチを使った溶断機や近年登場したレザーの溶切断機があるが、これはとても素人の手に負えるシロモノではない▼というわけで、生きているうちにはムリだろうと諦めていたら、なんと先日のテレビがその夢の道具を紹介していたではないか。DIY(DO IT YOURSELF=自分で作ったら)という言葉が認知されるようになって久しいが、その「日曜大工」が一般的になったのは道具そのものが改善され安く手に入るようになったからであろう▼その業界の全国展で紹介されたのが家庭用のコンセントから引いて使える鉄の切断機で、テレビでは詳しく説明していなかったが、「これだ!」と思わず快哉を叫んでいた。多分レザー加工なのであろう。友人は樹脂を切るレザー装置を保有しており、鉄も切れたらいいなと話していたばかりだった▼3Dプリンターでピストルを作れる時代だから、鉄を容易に加工できる道具の登場はいささか厄介かもしれないが、しかしこれは善用されるはずである。コスト云々以前に欲しさだけが募る。

☆★☆★2014年08月29日付

 読売新聞が昨日から「検証、朝日『慰安婦』報道」という特集を始めた。かつては同業の事は書かないのが不文律だったこの業界がその伝統を破棄するようになったのは進歩だが、先頭を走る2紙の戦いがメディア全体にどのような影響を及ぼすか、こちらも目が離せなくなってきた▼正直、時代の流れを感じた。この業界には日本新聞協会という組織があり、会長は大手紙の社長が交代で務めるのが慣例で、どの業界同様「仲良しクラブ」だったから、仲間同士角突き合わせるということはなかった。日本の新聞が「金太郎飴」と呼ばれたのも、どこを切っても皆同じ、題字以外はというその皮肉だったのだ▼しかし、様変わりしだしたのは民主党政権が誕生したあたりからだろう。論調の異なる朝・毎と読・産の対立は民主党に対する評価で際立つようになり、自民党が政権を奪取して今度は攻守所を変えるようになった。個人の十人十色と同様、メディアも多色であっていい。それでこそ様々な選択肢を与えることができるのである▼それにしても朝日は大事なところで判断を誤った。虚偽の証言というババを引いた誤りを認めたまではいいが、それを謝罪せずさらに自己の立場を正当化するような見苦しさは、これまで築き上げてきた高級紙のイメージを著しく低下させた▼800万部という部数が半分になってもいいではないか。言論界をリードしてきたという自信とプライドが保たれれば。なのに、優等生的対応をしようとして肝心の「森」を見なかったのである。

☆★☆★2014年08月28日付

 第2次安倍政権は9月に内閣改造を行うが、順番待ちの議員たちには「合格発表」を待つ心境だろう。焦点は石破幹事長の処遇だが、首相の意向に対して本人は幹事長留任を希望しているらしい。その通りとならなかった場合、「石破の乱」が起きるのかどうかこちらの「大河ドラマ」も目が離せない▼首相と石破氏は一見しただけでも水と油の関係にあることが分かるが、両者、自民党復権後は党の体質強化のため「エマルジョン化」を図ってきた。エマルジョンとは性質の異なる液体を混ぜ合わせて同化させることで、「乳化」という表現が分かりやすい▼そうまでして自分の個性を殺し党の再建につとめてきた結果の「一強他弱」となった今、次に肝要なのは党内の人心収攬であり、その改造に期待して「今度こそ」と昔なら自宅の電話前で、現在なら携帯電話を握りしめて入閣の報を待つ議員たちの心情が目に浮かぶようである▼しかしその前に石破氏の論功行賞が待ち受けている。幹事長留任という本人の希望に首相は耳を貸さず、あくまで安保担当相の就任にこだわっているようで、その辺のかけひきを新聞は色々書き立てているが、ポスト安倍の最有力候補と目される石破氏が一閣僚の席に収まるかどうか▼大河ドラマだとこうした場合、藩公、幕閣その他の群像間にさまざまな暗闘が織り込まれ、権謀術数が巡らされて、多彩な人間模様が描かれるのだが、ひたすら前に向かって進む若殿と、胸に一物ある老練な家老との人知れぬ葛藤がまずは見ものだろう。

☆★☆★2014年08月27日付

 学業、素行とも優秀ではなかった人間が口にすべきことではないが、文部科学省が発表した「全国学力テスト」の結果を見ると、秋田県の突出ぶりには驚き、かつ感心させられる。その学力ではなく、教育界の営為についてである▼学力テストと言えば、かつて日教組が展開した「学テ反対闘争」が想起されるが、世の中には優勝劣敗があることは否定しても否定しがたいものがあり、テストを実施すればいやでも都道府県の格差が明白になるから、そうなると先生の指導力も問われる▼日教組の勤務評定反対、学テ反対もそうした評価を嫌ってのことなのだったが、しかしどんな社会でも評定、評価は不可避であって、それを否定したら秩序も向上もあり得ない。いやだといってもそれでは社会が成り立たないのである。何でも平等、何でも公平など所詮は絵空事なのだから▼このテストで秋田は小学校が4教科すべて1位で、中学校は1教科のみ1位、残りは2位となったが、いずれこの結果をもたらす原動力となった教育界全体の取り組みは賞賛に値する。中学校では秋田を押さえて3教科で1位となった福井の努力も見逃せず、小学校でも2教科で2位、1教科で3位につけている▼「学校の優等生必ずしも社会の優等生ならず」と言うが、学力が向上して悪いことは何もない。日本がこれから世界と伍していくには優秀な人材を育てなければならない。その踏み石となる教育界の努力に惜しみない拍手を贈りたい。岩手?大器晩成型だからこれから頭角を現すはずだ。

☆★☆★2014年08月26日付

 香港から日本への旅行者が昨年の3倍に増えたと先日のテレビが伝えていた。尖閣の過熱が一段落した上に、円安で割安感が高まったこと、LCC(安売り航空)の普及などが相乗効果をもたらしたらしい。いずれ民間の交流が盛んになることは冷え切った両国関係の改善に多少はプラスになるだろう▼なんて期待は甘いだろうが、中国政府も内心関係改善にうまいテはないかと考えているフシがある。メンツを重んじる国だから表面的には物欲しそうな顔はしないが、経済面で抜き差しならぬ関係となった今では、少なくとも実利を損なわないよう色々と裏で画策する必要もあろう▼かくして一時の政冷経冷状態から政冷はともかく経冷から脱して多分に平熱を取り戻しつつあるのは、新聞の国際政治面を見ていてその変化をかぎ取れるようになったことからも間違いあるまい。というのも、中国では政経が深く絡み合っていて、日本との経済関係がギクシャクすると政治権益まで影響が及ぶからである▼政治舞台のそんな事情は別にして、フトコロが豊かになった一般大衆の関心は海外に向けられ、その行き先の一つに日本が選ばれて、香港だけの例をとればそれも昨年の3倍というのは、中国政府の執拗な反日キャンペーンがそれほど実効を上げていない証拠でもあろう▼一度日本に行くとリピーターになるという旅行者の話が紹介されていたが、清潔で安全で親切で―という褒め言葉に思わずニンマリとし、民間外交がやがて政治の厚いマントも脱がせるのではと思う。

☆★☆★2014年08月24日付

 今年ほど「大気が不安定」という言葉を聞いたことがない。これが地球のどのような事情によるものか色々解析はされているが、予知の領域にはいたっていないようだから、自然とはまったく不可解な存在だと念頭に入れておくことだけは必要だろう▼各地で頻発する集中豪雨の被害は広島の例を見るだけでもすさまじいものがあり、いずれ豪雨の量そのものが近現代にないほどけたはずれなものであることに驚かされる。驚くということは人間の生涯というわずかな時間の中だけの記憶、体験から割り出してのことで、過去にも同様の豪雨禍はあったとしても、文字だけの記録では実感がわかないのも確か▼この異常気象を当地と離れたよその出来事と思っていたら、22日夜の耳をつんざくような雷鳴に「ほら見ろ、油断していたろう」とたしなめられる思いがした。本欄で気象に対する「想定外」がもたらす油断について書いたばかりだったからである▼暗黒の夜空が一瞬昼間のような明るさになったと思った瞬間、間髪を入れずにものすごい轟音と地響きが大気をも揺るがし、これはすぐ近くに落雷したはずと確信したが、しかし停電はせず、実際はもっと遠くだったようだ▼数年前、自宅のすぐそばに落雷し、しばらく停電を余儀なくされたがその時の衝撃とどちらが強かったか判断できないほどの落雷があったということは、今後もなおあり続けるという証拠だろう▼いずれ自然災害はいつ襲来すると限らない。常時その備えだけはしておくに越したことはない。

☆★☆★2014年08月23日付

 恥ずかしながらスパゲティナポリタンというのは、トマトソースをベースに作るものだと思っていた。ところが終戦後進駐してきた米軍兵士たちのために食堂の親父が簡易にできる方法を案出、これがケチャップを使った「もどき」だったということを何かの記事で知った。道理で物足りないはずである▼トマトソースはパスタに欠かせぬ絶対的存在であり、年に数度ではあるが、パスタを自作する小欄はそのためにトマトの缶詰を切らしたことがない。先日ミニトマトをたくさん頂いたのでこれをつぶしてペーストにすることにした。目的はもちろんパスタ用である▼ゆで上げて皮をむき、それをことことと弱火で煮込み、ヘラでつぶしていく。手間はかかるが、その分旨味が増していくのが料理の極意というものであろう。ナポリタンにはその手間が省略されている。見かけはトマトソースだが舌で検分すれば彼我の差はあまりにも明白である。愛情というエッセンスがあるのとないのとではかくも違う▼みじん切りしたニンニクと鷹の爪をオリーブ油で軽くいため、玉ネギを加えて飴色にしそこに挽肉を入れれば、これがミートソースになるということはもうお分かりだろう。塩胡椒で味をととのえ、この労作をゆで上げたスパゲティの上にたっぷりと載せ、パルメザンチーズをふりかける▼このソースを使えばボンゴレロッソ(アサリのパスタ)にもなるが、それにしてもナポリタンとは羊頭狗肉だろう。むろん本格的イタリア料理はケチャップなど使うまいが。

☆★☆★2014年08月22日付

 言論統制が行われている北朝鮮や中国でならまだしも言論の自由がうたわれている韓国で、外国の報道機関に対し公権力をもって制裁を加えるというのは行き過ぎであり、その狭量さはやがて自らに降りかかってくるだろう▼産経新聞の加藤達也ソウル支局長がウェブサイトに掲載した記事が韓国政府の逆鱗にふれ、ソウル中央地検が同支局長から2度にわたって事情聴取した問題を世界のメディアはどう見ているのかはさておき、日本の同業者たちはどう考えているのだろう?▼日頃は報道、言論の自由に神経質なまでに目を光らせているのに、この件については読売新聞を除いて大手各紙、地方紙に配信している共同通信などの反応は「他人事」のように冷淡である。加藤支局長の記事は朝鮮日報のコラムを下敷きにしたもので、それに加えた伝聞もまさか為にしたものではあるまい。しかし朴大統領の名誉を毀損したとしてソウルに足止めし、刑事、民事の両面から立件を考えているというのは異例というより異常である▼朝鮮日報には口頭で注意しただけなのに、その記事を引用した側には重罰を科すというその「按配」は政治色ふんぷんで少なくとも民主主義国家のやり方とはとても思えないのである。その逆だったらどうだろう。政府がそうしたら日本のメディアは大騒ぎするはずである▼韓国与党の代表は「(産経新聞は)罰を受けねばならない。再発防止のために措置が必要だ」と述べているが、そのためには朴大統領からも事情聴取が必要となるのだ。

☆★☆★2014年08月21日付

 東日本大震災は何事にも「想定外」があるという教訓を残した。しかし震災被災地以外ではいまだ「対岸の火事」視しているきらいがある。昨年から今年にかけて列島各地で記録的な豪雨が頻発しているのに、「ここなら大丈夫」と甘く見る傾向があり、それが油断を招く結果となっている▼昨年夏、当地でも観測史上1、2の豪雨があり、国道や県道が不通となった。たまたま東京からの帰りにこの不通とぶつかり、遠野経由で大船渡に戻ったがまさか大雨で国道が遮断されようなどとはそれまで考えてもみなかった。つまり想定外だったが、当局はその体験を踏まえて対策を講じているのだろうか▼そんな豪雨が今年は各地で猛威を振るった。そのつど、観測史上最大、記録的なという表現と共にその爪痕がテレビに映し出されるのだが、河川の氾らんで街中が水浸しになったり、裏山が崩れて家が土砂に埋まったり、線路や橋が水没したり、壊れたりとさながら津波のような惨状が伝えられるたび、「まさか」の油断が繰り返されている事実をいやでも知らされる▼「去年に続いて今年もまた同じような被害に遭うとは」という声を聞くと、治山治水という事業が金と年月を要すことは理解しても、人間というものは大して学習していないなと痛感する▼少なくとも川や山のそばというのは危険が一杯という認識を持つ必要があるのだが、現実にはそのそばに家が建ち、そして直撃されている。「まさか」というのは自然のエネルギーを甘く見ていた結果なのであろう。


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