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世迷言

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☆★☆★2010年02月09日付

 こんなものがほしいな、あればいいなと思うことが日常よくある。しかし自作できる頭も腕も持ち合わせていない。だが、自分ができなくてもできる人の知恵を借りればいいのである。そんなチャンスが実はある▼「一関高専テクノ・コンサルタントin気仙」という催しがそれで、同高専の先生方がそれぞれの専門分野における個別相談に乗りましょうという企画。つまり自分の不得手な領域に専門家が分け入ってくれるという奇特な講座だ。対象は企業だがむろん起業家たらんとする人々も受け入れる▼相談に応じるのは、環境エネルギー、バイオ地域資源、医療福祉機器、情報技術、技術教育の五分野で、当然のことながら、今後本格的に技術開発や商品化などに取り組んでいきたいという企業との共同研究なども視野に入れている。いわば産学共同で新しい可能性を拓いていこうというのが狙いだ▼同高専には「地域共同テクノセンター」という地域との「共生」を目指す部門があり、そこのセンター長である佐藤清忠教授には以前から色々と相談に乗っていただいているが、誠実ながらまた実に気さくなお人柄で、学者というと敬遠したくなる劣等人間にも気安く接してくれるから、こちらも図に乗る▼で、世の中には当方のように思いはあるが知恵がない人間がいることを見抜いて、こんなチャンスを向こうからこしらえてくれたという次第。詳細は後日告知されるが、三月十二日(金)開催だけはお忘れなく。

☆★☆★2010年02月07日付

 「寒九の雨」が過ぎたら逆に雪模様が続いている。気仙でこれほど続くのは近年記憶がない。節分に入って「もう春だ」と鬼の首を取ったつもりでいたら、逆に豆をぶつけられたような思いだ▼気候が温暖化しているのはまぎれもない事実である。小学生の頃は長靴をはいて学校に通っていた。雪国育ちの父親は「長靴とは長いものだ」という固定観念があってか、膝までくるような長靴をはかされた。同級生たちのそれは現在と同じように膝下十aぐらいの「中靴」だったからなんとなく恥ずかしかった▼大雪も珍しくなかったし、田んぼには氷がよく張った。中学生の頃は放課後のスケートが楽しみだった。冬季に自然製氷する水槽があり、そこがスケート場に変わる。スケートは現在のように靴の付いたハイカラなものではなく、長靴に合わせて前後の台のサイズを調整、バンドで留めるという当時なりの工夫の産物だった▼現代は確かに気温も高くなり降雪量も少なくなったことを実感する。そもそも水道が凍結することがまれになった。だから水抜きをすることを忘れる、というよりはなからする気が起きない。そんな油断をしていたら先日凍結して目にあったと知人が話していた▼それだけ暖冬になれてしまっているのだろう。このところの雪模様に驚いているのがその証拠で、「これが冬というものなのだ」と説教されたような気分だ。それでも各地で久しぶりに豪雪とのニュースを聞くと、当地のありがたさを改めて思うのである。

☆★☆★2010年02月06日付

 昨日の各紙一面は、歴史的な一こまを綴った貴重な紙面となろう。かたや小沢一郎幹事長不起訴・続投の記事。こなた横綱朝青龍引退の記事と、特大記事がてんこ盛りだ▼当初、検察と全面対決と息巻いていた小沢氏だが、二度の事情聴取後は低姿勢で「捜査に協力する」とまで述べる変わりよう。本人は免れたが三人の元・現秘書たちが起訴されて「すべて任せていた」では平仄が合わない。秘書の責任は自分の責任と潔く認めたら退場しても男は上がる▼なんともすっきりとしない形でこの場が収まって、ではメデタシ、メデタシという展開に今後はなるのかといえば、民主党のプラスにはなるまいとだけは断言できそう。「政治とカネ」の追及にあれだけ熱心だった党が、わが身に火の粉が降りかかりそうになると、一転して臭い物にフタでは一貫しないことおびただしい▼朝青龍の方は見事な退け際に見えて、実は横綱審議委員会や協会の外部理事などから「解雇」の合唱となり、やむなく退職金も出る引退に落ち着いたという報道がなされている。朝青龍の品格そのものはともかく、相撲にかける気魄は高く買っていただけに、勇み足での降板は残念だが、逮捕の土がつくよりはましだろう▼というわけで記事に登場した二人の主人公が見せた出処進退のありようは、人生とは何かを感じさせずにおかない。それにしても脳裏をかすめるのは「世の中を甘くみてはいけない」という昔からの戒めである。

☆★☆★2010年02月05日付

 「泣きっ面に蜂」とはこのような状態をいうのだろうか。米国で大量のリコール(回収・無償修理)を余儀なくされたトヨタで、今度は売れっ子の新型プリウスに不具合が見つかったというのだから▼ブレーキが一時的に利かなくなるという苦情が米国で九十八件、国内でも十四件あり、これが原因と見られる事故も両国で起きている。世界で七百万台以上に及ぶリコールと自主回収に追い込まれたところへ、追い討ちをかけるような「プリウスよお前もか!」の事態にはさしものトヨタもショックだろう▼いいことはすぐ去るのに、悪いことは押しかけてやってくるもので、まさに不運としかいいようがないが、「出るクイは打たれる」のたとえ通り、世界中のライバル各社がトヨタのあら探しをしていることは間違いない。いや米国政府自体が自国自動車産業を擁護するためにことさら目を光らせている観なしとしない▼日本が貿易摩擦で悪者にされ、「日本叩き」が目に余った時代をほうふつとさせる事態が米国で再び起きていることは容易に想像がつく。現にトヨタの災禍を奇貨としてGMやフォードがトヨタからの買い換えに「支度金」を出している。なりふり構わずというのはこういうことだろう▼ところがフォルクスワーゲン社の北米担当役員は、他人の不幸に乗じたこのような行為はフェアでないと批判したという。その通りで、武士道を持ち出すまでもなく日本ではこれを恥ずべき行為とみなす。日独にあってその価値観がなぜ米国にはないのか。貧すれば鈍すということだろうか。

☆★☆★2010年02月04日付

 何事にも見込み違いはあるが、新大船渡魚市場の建築工事費が三億四千万円も膨らむことになったというのは、「見込み違い」ではなく一瞬「計算違い」ではないかと思った▼同工事は、最初の落札業者が契約保証金を払えず辞退したのがケチのつき始め。その後設計書に止水作業が盛り込まれていないという指摘があって、二度目の落札ではその分を反映し約六億円が増額された。しかし工事を始めてみると次々と難問にぶつかり、工事は遅れる、出費はかさむという二重苦に悩まされ続けてきた▼結局は入札時より約三億四千万円高い四十六億四千八百万円という金額に工事費がはねあがった。民間には信じられないような追加額である。一銭でも安く上がるように調べ上げ、業者と交渉し、支払いの段になるとさらに値切る(全部が全部ではないが)―というのが民間の常で、それは身の保全のためでもあるからだ。官の発注というのはその点甘くなるのは親方日の丸のせい▼当初計画より十億円も増える工事など民間ではまったく考えられず、おそらく訴訟に発展するだろう。海の工事に止水作業が付きものなのは素人でも判断できること。それが設計から抜けていたなど想像を絶する甘さであり、公金というものがいかに杜撰に扱われるものかを物語って余りある▼小欄にも県、市、業者それぞれの言い分が間接的に聞こえてくるがどれが真相かは判断しかねる。ボタンの掛け違い段階からこれはきちんと説明する責任がある。何が大金を消したのかと。

☆★☆★2010年02月03日付

 スイスの湖底で七十年間以上も眠っていた車が引き上げられてオークションにかけられた。その落札価格が邦貨で約三千二百五十万円というから、何か積んでいたのかと思われそうだが…▼昨日読んだ新聞中でもっとも興味を引いたのがこの記事だった。量的にはA4判半分ほどのスペースだが、この中には驚くべきストーリーが詰まっていた。「湖底に眠る」という表現からは、誤って転落したのだろうというありきたりな推測しか浮かばないが、実はこれが「不法投棄」なのだった▼では誰が投棄したのか?現代なら環境衛生保護法とか粗大ゴミ不法投棄取り締まり条例とかいった法網に引っかかって、お縄頂戴とはいかないまでも、罰金ぐらいは課せられそうだが、それをやったのが実はお役所。それも税関だというのだから意外や意外▼この車には輸入関税がかかるはずなところ、持ち主がそれを払えず放棄したため、困った税関が湖に「ぶん投げた」のだ。むろんタダのポンコツなら誰だって目もくれない。たとえどんな逸話があってもだ。ところが、これが一九二〇年代のブガッティというフランスの名車(現在フォルクスワーゲン傘下)▼〇九年に地元のダイバークラブによって引き上げられたのだが、腐食は進んでいてもそこは腐っても鯛。なにせ当時のレースを次々と制した栄光を誇る歴史的名車だから好事家たちがヨダレを流したのも無理はない。価値あるものはいつまで経っても光を失わない。若者よ自分を磨け、鍛えよという教訓としてこの記事を読んだのである。

☆★☆★2010年02月02日付

 外交とは、片手で握手しながらもう片手には拳銃をしのばせているようなものだと言われる。それもこれも国益を守るためで、その点「相手のいやがることはしない」という日本外交が国益を損なうことが多いのは当然だろう▼そんな感想を強く抱いたのが、約五千八百億円の武器を台湾に売却することを決めた米国の態度である。昨年十一月に訪中したオバマ大統領の、胡錦濤主席との会談における親密ぶりは、両国が蜜月時代に入ったかのような印象を世界に発信した。だから日本国内には「日本は見放された」という焦りもあったほどだ▼表面では「一つの中国」をいいながら国家戦略面から「台湾有事」を憂う米国は、事実上台湾を認知している。その黙契を物語るのがこの武器売却だろう。金になりさえすればいいというのではない。中国が台湾に対し武力に訴えるようなことがあればどうなるかわかりませんよ―という示威行為でもあるのだ▼この裏切り行為≠ノ中国が早速反応はしたものの、紋切り型の抗議にとどまったのは、互いに手の内を知っているからである。というのも共に相手を利用しないと立ちゆかないことを、十分にわきまえているからだ。だからといって黙っていたらそれは外交ではない。断固抗議して見せる≠アとが必要だ▼日中両国の有識者による「歴史認識」の共有化は結局溝が埋まらなかった。埋まるわけがないのははなから分かっていたのである。どちらにせよ相手の歴史観を鵜呑みにする国など国ではないからだ。

☆★☆★2010年01月31日付

 上場企業の昨年四〜十二月期決算があいついで発表され、雪解け間近の様相が見えだした。もっとも回復基調にあるのは製造業などわずかで、まだまだ予断は許されないが、うれしい先触れだ▼あるシンクタンクの集計だと四社に一社が今春三月期の見通しを上方修正したという。昨日の新聞を開くと久しぶりに「増益」「黒字転換」などの文字が躍っていた。本県に関係の深い東芝、富士通ともに黒字転換し、今後の推移に期待ができそうな気配である▼製造業に業績回復の兆しが見えたのは、中国など新興国の成長に負うところが大というより、新興国頼りというのが現状で、雪解けが本物になるには内需と設備投資の拡大が必要だという。しかし外需頼みとしても、それだけ日本の技術力があればこそのことで、昨日の続きとなるが技術立国の基本は大事に守らねばなるまい▼だが、アナリストたちが指摘しているように、内需が旺盛にならなければ国民が回復基調を実感できないのも事実で、しばらくは閉塞感から脱却できないだろう。それでも上方修正が相次ぐこの変化は国内経済に「待てば海路の日和あり」という気分を持ち込んでくれるのではなかろうか。なにせ国民は長引く不況に「飽きた」のである▼県内の主要産業トップに聞いた今年の景気予想で「悪くなる」が減ったことを小欄で年初に書いたが、一部にその手応えがあったことは確かだろう。「臥薪嘗胆」の時が終わり今度こそ「一陽来復」が期待できそうだ。

☆★☆★2010年01月30日付

 日本に世界第二の経済大国という看板をそろそろ下ろす時がやってきた。後から猛追してきた中国が真後ろに迫り、間もなく抜き去られそうだからである。その口惜しさを財界は噛みしめながら、次の手を模索しているようだ▼さる二十六日、東京の憲政会館で開かれた講演会で、講師に招かれた日本商工会議所会頭の岡村正氏は、91年から始まったいわゆる「失われた十年」後も経済は一時的回復を見せたものの、快癒にはほど遠くいまなお低迷が続いている状況は「失われた二十年」への延長を思わせると、現状を憂いた▼「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と持ち上げられた八〇年代の栄光がまるで嘘だったかのように暗転、凋落した九〇年代の悪夢と訣別し、夢よもう一度と不死鳥のように蘇る青写真を描いた日本経済再生計画は、つまるところ政治の無策によって頓挫し、日本経済は不況の長いトンネルから抜け出せないでいる。そこに追い討ちをかけたリーマン・ショックで、自信喪失状態なのが今の日本▼「世界の工場」として下請け加工と輸出の両面で経済力を付け、なお8%台の成長率を維持している中国がGDPで日本を追い抜くのはもはや時間の問題となり、日本はいやでも脚力の衰えを感じざるを得ない状況だ。だが、日本の技術力は決して失われたわけではない▼岡村氏はその再生の道として「科学技術創造立国」というフレーズを掲げたが、まさにその通りである。しかし国はなお明確な国家ビジョンを打ち出せないでいる。技術力はあるが、再生努力を促す「精神力」が欠けているのが問題なのだ。

☆★☆★2010年01月29日付

 国内の自動車メーカーが、飽和状態にある国内市場に代わって海外市場開拓のため現地生産するという報道を目にするたびに一抹の不安を抱いてきた。現地生産となれば一部であっても現地での部品調達は避けられないからだ▼車とは文明の利器でもあるが、「走る凶器」でもある。運転のミスもさることながら、車の構造や部品に欠陥があれば、事故につながる危険性が大であり、そのためメーカーが安全対策に払う投資と注意と神経は並々ならぬものがあろう。その厳しい品質管理に対し国内の部品メーカーも努力研究して期待に応えてきた▼ものづくりの伝統は中小企業においても均霑化しているのが日本の誇りであり、その総合力によって国内販売されている車がリコール(無料回収・修理)されることは滅多になくなった。欠陥によって事故が発生するというのはメーカーにとって命取りになるから、二重、三重のフェイルセーフ(安全策)を怠らない。だが、海外ではどうか▼トヨタが米国で販売した八車種でアクセルペダルの不具合が見つかってリコールしただけでなく、販売の一部中止にまで追い込まれた背景は、そうした品質管理のレベルを抜きに考えられまい。調達先は米国の部品メーカーだったが、それだけを責めるわけにはいかず、トヨタのチェックの甘さ自体も問われるだろう▼だが、そのチェックそのものが日本と他国では異なる。同じケースが国内では起きていない。これを文化の違いと言っては語弊があるだろう。しかしこの違いを考えるからこそ現地生産を心配してしまうのだ。


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