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世迷言

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☆★☆★2014年10月23日付

 小中学校の「道徳の時間」を教科に格上げするという中教審の答申に対し、さっそく一部のマスメディアは「おそれ」論を展開しているが、道徳や倫理というものは社会を潤す潤滑油であることは論をまたない。「修身の復活?」何をバカな▼道徳教育が必要かどうかという大前提を考える前に、家庭教育の中でしつけをどうするかとなればおそらく9割はその必要性を認めるはずである。人間は性善なるものではなく、幼児期から物事の善悪というものをきちんと教えなければ判断力の元にはならない▼だからこそ戦前教育には「修身の時間」があり、個人の操行が甲乙丙丁で評価された。その是非はにわかに論じられないが戦後はそれが軍国主義教育につながったとして否定され、道徳の時間の復活にも日教組などから抵抗があったのも事実である▼しかし人間としてのたしなみ、社会の決まり、公衆道徳などの精神的な骨組みを教えることは決してマイナスどころか人間性を涵養する重要な要素となろう。ゆえに教科とすることに小欄は全面的に賛成で、教科化すれば世の中が右傾化するなど小児病的考え方には与しない▼これはもはやしつけの範囲なのだろうが、交通機関の中で「食事をする」という光景を目にするようになったのはつい近年のことである。公衆の面前での化粧も同様、これは不文律として大人の禁忌行為であり、古い世代はそうしつけられたはずである。そのしつけを知らない親は子にもしつけられない。道徳教育は社会再生の線上にあるのだ。

☆★☆★2014年10月22日付

 改造安倍政権の「目玉商品」だった女性閣僚大量(といっても5人だけだったが)の登用が弾みをつけるどころか逆の結果となって「アテと何とかは向こうからはずれる」という格言を思い出した。それにしても人間のやること、どこに落とし穴があるか分からない▼小渕経産相、松島法相の辞任は支持者もさることながら、本人が何より落胆していることだろう。何せ綺羅と輝く希望の星が一転して奈落の底に突き落とされたに等しいからである。その落差が大きいだけに打撃も半端ではあるまい。少なくとも将来の総理候補と目された小渕氏にはその目も消えてしまったことは痛かろう▼以前は政治家の不祥事が明るみに出ると決まって弁解に用いられる言葉が「秘書が、秘書が」だったが、小渕氏の場合は秘書もさることながら、選挙の手練れが集まっているはずの後援会が本人同様世間知らずだったことは疑いない▼公職選挙法は天網などではなくかなりのザル法だと言われてきた。その通り国政選挙でも地方選挙でも法網をかいくぐったあの手この手が伝わってくるが、見つからなければそれまでで、疎にして漏らさずどころか時には大魚すら素通りするらしい▼道連れになった形の松島氏の場合、配ったうちわが「有価物」とみなされ網の目に引っかかったが、これが買収となるかどうか法と常識の乖離が気になるところだ。この一件がやがては法の拡大解釈につながり、公選法が天網のごとく「恢々」となれば松島氏はもって瞑すべしというところか。

☆★☆★2014年10月21日付

 もう使い古されたというよりはほとんど耳にしなくなったが「戦後強くなったのは女と靴下」という表現があった。靴下はともかく女が強くなったのは敗戦によるショックで男が自信を失ったためとみなされてきたが、どうやらそのショックは今なお続いているようだ。女性は依然として強し▼そういう感想を抱いたのは靖国神社の秋季例大祭に安倍内閣から女性閣僚3人が参拝したという記事を読んでのこと。高市早苗総務相、山谷えり子国家公安委員長、有村治子女性活躍担当相という顔ぶれで、高市氏は以前からの常連だから確たる信念に基づいたものとして、残る2氏が男もいやがる中韓の反発も苦にせず堂々と参拝したのだから拍手を送った▼もう何度も飽き飽きするほど書いてきたが、国のために散った英霊のために尊崇の誠を捧げるのはごく自然なことであり、何も靖国でなくてもいいではないかという意見もあるが、これはもう伝統として定置されたことであり、実際その参拝に政治家の誰が公人か私人かなどと問われないで参拝してきた事実をどう否定できよう▼一度文句をつけたら以後相手がおびえるようになったためこれは外交カードとして使えると味をしめた中韓が今なお執拗に内政干渉してくるのは、こちらが毅然とした態度を見せないからである▼閣僚でないときは「みんなで靖国に参拝する国会議員の会」に参加して参拝するが閣僚ともなると知らんぷり。それで男か!真榊奉納だけで文句をつけるのだから首相も参拝すべきなのである。

☆★☆★2014年10月19日付

 女性の地位向上のため安倍首相がせっかく用意した閣僚の席。そこに座った5人のうち2人が議員としての資格、資質を問われている。改造前までは1人の辞任もなく済んだのだが、今度は剣が峰が待ち受けているようである▼松島みどり法相のうちわ配布問題に続いて今度は小渕優子経済産業相の関係する政治団体の行った事業の収支に疑惑が持たれている。政治団体が選挙区の支持者たちに対して図った「便宜」が公職選挙法の買収にあたるのではないかというものだ。うちわの配布ぐらいは社会常識の範囲内にとどまるだろうが、こちらは常軌を逸脱している▼支持者向けの観劇会が収入より支出が多かったという点、その差額はどうなっているかという疑問が寄せられることは、政治家の心得るべき「べからず」のイロハに当たるだろう。だが、親子2代にわたる後援会や側近にそれほどの知恵者がいなかったのかどうか、また本人も知らなかったというのはどう考えても脇が甘すぎる▼「李下に冠を正さず」は政治家に特に求められる要件だが、その初歩の初歩に気が回らなかったのは、周囲の責任だけでなく、「お嬢様」らしい大らかさがアダしたのだろうか。将来の女性首相候補ナンバーワンと目されていただけに、その可能性が一気にしぼんでしまったのは気の毒である▼一強他弱の状態にある与野党の現況からしても、安倍政権の失点は今後のゲームを左右する材料にされるだろう。女性には甘い小欄だが、潔く責任を取るのは政治家の要諦としておこう。

☆★☆★2014年10月18日付

 まったく遅きに失したきらいはあるが、誤りを正すためにはまず腰を上げなければなるまい。政府が1996年に国連人権委員会(現在は国連人権理事会)で作成された「クマラスワミ報告書」の一部撤回を求めたのがそれで、やっとという前にこれまで放置してきた歴代内閣の不甲斐なさにやりきれない思いを強くする▼日本人にとって悪名高いこの報告書は、スリランカ出身の女性法律家、ラディカ・クマラスワミ氏が戦場慰安婦を「性奴隷」と定義し日本政府の法的責任を問う一方、元慰安婦への補償などを求めたもので、日本や韓国で聞き取り調査した内容が根拠となっているが、朝鮮半島で女性を強制連行して慰安婦としたという吉田清治氏の虚偽証言が含まれていて、これが「証拠」にされた可能性が高い▼このため民間から妥当を欠いた報告書として撤回を求める声が以前から上がっていたが、その非を鳴らして抗議してもなにせ強制性を認めた河野談話が継承されているためにそれをタテに取られると不利になるという負の連鎖が続いていた▼しかし吉田証言が虚偽であることを朝日新聞が認めて事態は撤回を迫る新たなステージと変化、政府の重い腰を促す結果となった。その意向を伝えた政府側に対し当のクマラスワミ氏は吉田証言だけが根拠ではないと拒否したという▼政府は、問題の報告書が提出された直後に当時の日本政府が作成した「反論文書」を公開する検討をしており、打つべき手はさらにあるはず。これは徹底的に戦うべきであろう。

☆★☆★2014年10月17日付

 個人情報保護法があるのだから「国家情報保護法」があって当然だが、「特定秘密保護法」というネーミングがアダしたか同法にはいまだ反対の声がある。しかし情報面における国の危機管理が整うのだからこれは歓迎すべき事だろう▼いっそのこと「スパイ防止法」とでもすればよかったのだが、何におもねったのか「特定秘密」としたあたりが姑息に見える。個人にプライバシーがあるごとく国にも秘すべき情報があるのは至極当然であり、そのために日夜監視の目を光らせているのはいかなる国でも同様である▼国家情報から企業情報まで内からも外からも狙われるのはその情報に価値があるからで、それが漏洩したことによる損失の計り知れなさを思えば、それを必死に守る法制や体制、システムまでを否定することはできない。しかし日本が「スパイ天国」と呼ばれてきたことは自らを守るという姿勢に欠けていたからである▼ところが政府が同法の施行を打ち出すやいなや多くのマスメディアが反対の論陣を張り、同法がやがてひとり歩きし、国民の知る権利まで奪うような主張を繰り返してきたため、世論も疑心暗鬼にかられたか一時は安倍政権の支持率まで下げたほど▼だが、法案が閣議決定され12月10日に施行されることになっても大規模な反対のデモが起きないのはなぜか。14日官邸前で反対のデモがあったと報じられていた。約20人が集まったというそのデモの先頭に立っていたのは福島瑞穂さんのようだが、気勢が上がらぬようだから同情した。

☆★☆★2014年10月16日付

 深酒をした翌日は前夜のことが思い出せず「何か失敗をしなかっただろうか?」と不安にかられて記憶をまさぐるが、まずは徒労に終わる。しかしその時は案外まともだったものが、寝るとすべてが忘却の彼方に消えるのだという結論に昨日達した▼節度を保ってほどほどに飲み、ほんわかと酔って決して矩を超えない理想的酒飲みと異なり、当方は牛飲というよりはとことん鯨飲して当地方言で言う「ほでなし(正体なし)」になるまで飲みほうけるスタイルを一貫して守って?いるから、翌日は「記憶にございません」状態になるのがしばしば▼こういうだらしのない酒飲みに限って昨夜のことが気にかかり、冒頭のような心境に陥るのが常である。しかし酔っ払って正体不明になることはどうやらなさそうな証拠に洋服はハンガーに掛けられているし、携帯は充電器につないである。眼鏡もケースに入れてしまわれており、もっとも大切な財布も収まるべきところに収まっている▼だが、深酒した翌朝のすべてがリセット状態となっている時の、後悔と反省がないまぜになった気分、慚愧に堪えない気分は名状しがたいものがあり、そんな時は限度を弁えることの大切さをいやでも痛感するのである▼ところが昨朝、前夜仕損なった仕事をこなそうと思い立って現場に赴いたらその仕事がすべてこなされていたではないか。要するに昨夜までは正気で、寝た途端にすべてを忘れていたということになる。そしてその作業の様子までがすべて思い出された。まだいけそう。

☆★☆★2014年10月15日付

 横組みの邦字タブロイド紙「フジサンケイビジネスアイ」は、その名の通りビジネスの記事が主体だが、筆者が日替わりで登場する1面のコラムが秀逸で、時々目からウロコを落としてもらうが、このコラムにも脳天をかち割られる思いがした▼「日本の誇り、シンゴ クニエダ」とのタイトルで筆を取ったのは実業家の平松庚三氏。「シンゴ クニエダ?WHO(誰?)」と一瞬いぶかり、そこから引き込まれたのだが、結論から先に言おう。テニスの国枝慎吾氏がその人。世界の四大大会(全豪、全米、全英、全仏)のすべてを制した現役の車椅子プロテニス選手なのである▼プロテニスとくれば、錦織圭選手のことしか思い浮かばないが、その錦織選手ですら全米を制覇できなかったのに、国枝選手は別の分野にしても四大大会すべてで優勝しただけでなくシングルス優勝16回、ダブルス優勝を15回も遂げているというのだから、超人的存在なのだが、こんな業績を恥ずかしながら小欄も知らずにいた▼ある時日本の記者が世界ランク1位のロジャー・フェデラー選手に「なぜ日本には世界トップクラスの選手が生まれないのか?」と質問したら彼は即座に「何をバカなことを言っているのか、日本にはシンゴ・クニエダがいるではないか」とたしなめたとか▼そんな逸話をこのコラムで紹介した後、平松氏は海外で認められている日本人選手が母国では相応の評価をされていない事実を指摘、「とっくに国民栄誉賞をもらってもいいはず」と無念がる。同感である。

☆★☆★2014年10月13日付

 「天高く馬肥ゆる秋」という表現は馬を見かけなくなった現代、ピンと来ないだろうが、「馬力」が輸送の主力をなしていた昔を知る世代としては季節のうつろいを示す何よりの「季語」である。「食欲の秋」でも構わないが、天が高くなるというこの先人たちの言い回しは見事ではないか▼初秋になっても積乱雲が発生して大気が不安定になる日が多かったが、10月ともなるとさすが秋への衣替えが急速に進んだ。同時に目に見えて食欲が増してくるのをいかんともしがたい。なにせ鍋の季節に突入である▼その鍋の多くに不可欠なのが豆腐とネギである。そのうちのネギだが、夏期にはどうしても固くなり味気のないことおびただしい。なにせそば屋では他人の残したネギまで失敬するほどの「ネギ命」で、焼き鳥も「ネギ間」がないと気が済まないほど。ああ、夏でも柔らかいネギが食べたい▼県内のドライブでは必ず産直に寄りネギを探すが、夏期だけは内陸産といえども柔らかさに欠けるのは本県の気候と土壌のせいなのだろうか。以前も書いたが千葉県産のネギを頂いてその柔らかさに狂喜したことがある。だからこれは関東ローム層の恵みと考えていた▼ところが知人のTさんが陸前高田市の農場で育てたというネギをどっさり持ってきてくれた。これが驚き。実に柔らかいのである。これは土に何か秘密があるのではないかと尋ねると、育てた担当者しか知らないという。これは確か栽培に秘密があるはずである。いずれその担当者の労を「ネギらい」たいと思う。

☆★☆★2014年10月12日付

 個人にも企業にも永遠や絶対はあり得なく、照る日もあれば曇る日もある。日本の電機大手を切歯扼腕させていた韓国のサムスン電子が、営業利益を前年から6割も減らしたというのはつい最近までは考えられなかったような展開だが、栄枯盛衰はまったく隣り合わせなのかもしれない▼サムスン電子といえば韓国を代表する押しも押されもしないガリバー企業であり、いまや日本の電機大手が束になってもかなわない売り上げと競争力を持つ世界屈指の存在だが、6割もの減益決算に追い込まれたということは日進月歩の先端産業で常にリードを保つことのいかに難しいかを物語ろう▼営業利益の半分以上を稼ぎ出してきた主力のスマートフォンが中国企業などの攻勢に遭って苦戦を強いられたのが減益の主因で、日本の業界がたどった同じような道をサムスンもまた歩む結果となったようである。液晶テレビや半導体などで日本に追いつき追い抜いてさらに水をあけてきたパワーも、価格攻勢だけでなく技術力もつけた中国勢の急追の前に不覚を取った▼パナソニックにしろソニーにしろ品質神話に囚われたあまり、気がついた時には価格競争に敗れ、かつての栄光がうそのような転落をたどった。その呻吟は今も続いているが、もの作りの基礎競争力まで失ったわけではない▼青色LEDの発明が物語るようにこの国に日はまた昇ると小欄は信じ、それにしても揺るがぬ経営基盤を固めるにはどこにも真似ができない物を作ることだといよいよ確信を深めた次第。


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