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世迷言

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☆★☆★2014年11月01日付

 愚痴は不幸をいざなう玄関口だから、代わりにぶつぶつ言わず小さな幸せの入り口から入ろう。あたりを見回せばそんな小さな幸せがごろごろと転がっている。と、考えることにした。別に悟りを開いたわけではなく、老境に達しての諦念というものだろうか▼諦念には「あきらめの気持ち」という以外に「道理をわきまえて悟る心」という対極の心境がある。同じような言葉の「諦観」にも、当面する事態に対し積極的に向き合うか、それとも投げやりで済ますかという相反する概念が併置されている。小生はまさにあきらめの境地に逃げ込む側なのである▼幸せな気持ちというのは一瞬で消えるが、愚痴を言いたくなるような心理状況は持続するものである。それが朝から晩まで頭から離れないと、やがて正常な精神作用の歯車が狂い、物事に対する考え方を悪い方へ悪い方へと導くようになる。だからこそ、そうならないように「笑う門には福来たる」と古人はたしなめた▼かといってニタニタ笑っていると誤解を招く恐れがあるから、顔には出さず独りこっそりと幸せを味わうことであろう。小生のその小さな幸せはまず朝一杯の味噌汁を味わって「ああうまい。今日も元気だ」と感謝するところから始まる▼そして夜は夜で飲みかつ食えることに感謝する。これ以上の幸福があるだろうか?「しばてっこ(肴)」が足りなくなったので急遽湯豆腐にした。これが下手にこった料理よりうまい。「ああ日本に生まれてよかった」と手を合わせる。この幸福よずっと続け。

☆★☆★2014年10月31日付

 コインや下駄の表裏でどちらへ行くか占ったとして、どう転んでも結果は大したことのない庶民一般と違って、国の将来を左右する岐路に立ったときの宰相の心中はさぞ重苦しいものにちがいない▼2015年10月から消費税率を10%に引き上げるかどうか政治決断を迫られる安倍首相がいま内心どのように考えているのか?人間の心理を透視するCT(コンピューター断層撮影装置)かMRI(磁気共鳴画像装置)のようなものがあればそれを使ってのぞいてみたいものだ▼5%から8%の引き上げの時も首相は迷いに迷い抜いたはずだが、社会保障と税の一体改革という錦の御旗の前には到底抗いきれなかったのが実状だろう。先送りすれば「改革をしなくていいのか」と責められるのは明白。まして民主党と公明党との3党合意の上に成立した法案である。「契約不履行」は信を問われる▼8%の引き上げ当初は実質GDP(国内総生産)も比較的順調だったが、その後次第に減速するようになってアベノミクスの前途にも影響が予想されるから、10%への再引き上げは自民党内でも賛否の行方が問われるようになってきた▼せっかくデフレから脱却できたこの順風を逆風に変える愚は避けるべきで、商売なら手形の書き換えもあり得る。まずは牛や豚を肥えさせることが肝要で、変に小賢しくして「牛売り損なう」結果にはしたくない。甘利経済再生相は学識経験者らの声を聴く必要があると語っていたが、ここは学者の意見より庶民感覚を重視すべきだろう。

☆★☆★2014年10月30日付

 長時間持続可能な電池の開発が待たれて久しいが、取りあえず頼もしい代打者となるのが「マグネシウム空気電池」であろう。業務に使える本格的な電池の登場まではなお時間を要しそうだが、非常用の小型電池が年内にも発売されるのは朗報だ▼マグネシウムを負極、空気中の酸素を正極としてそこに水や海水を注ぐと発電するこの電池は大量発電にはまだ解決すべき問題があるが、非常用の小型電池は実用化のメドがついていよいよ期待のデビューとなる。古河電池と凸版印刷が共同で開発したもので、その名は「マグボックス」。1万円前後で販売される模様▼この原理が特許公開されて以降、いくつかの企業が実用化の研究を急いでおり、すでにスマホの充電用にシート状の製品が米国で発売される予定。1枚1jほどだが、これでスマホ1日分の充電ができるから、財布の中にしのばせておけばスマホ中毒は安心だろう▼マグボックスはその55倍の価格だが、洗濯石鹸の箱に似た紙容器に2gの水を注ぐと、なんと300h時の電気を最長5日間も発電できるという優れもので、東日本大震災時これがあったら被災地域はどんなに心強かったかしれないが、実際古河電池の開発担当者はこの時仙台にいて、その必要性を強く感じたのが開発の動機だったという▼マグネシウムは海水から得ることができ、使用済みになっても再利用が可能と天然資源の少ない日本には期待の星である。マグボックスについで応用技術の開発に加油ならぬ「加電」が与えられよう。

☆★☆★2014年10月29日付

 〈バブルに踊り覚めて大損、現代版「邯鄲の夢」〉という日経新聞の記事を読んで、昔も今も何も変わっちゃいないなと感じ入った。世の中には求めても得られぬものがあるが、それでも求めたくなるのが人間の常。そんな夢を見たのも束の間、気が付いたらババをつかまされていた▼中国・河北省にある邯鄲という町。ここに約2千戸の入居を見込んだマンション群が建設中だったが、運営主体の不動産開発会社が資金繰りに行き詰まって経営者がトンズラ=B残ったのは完成のめどが立たないマンションと、うまい話に乗って大損をした地元の住民たちだけだった。まさにバブルが弾けた典型だ▼なにせ年に20〜30%の高金利配当が売り物とあって住民たちの目の色が変わるのも当然。こうして邯鄲の住宅価格は3年間で2割近く上昇した。だがこうした不動産投資が全土に広がれば住宅の過剰供給をきたすのは当たり前。結果、住民が投じた約1600億円は紙くずと化した▼今から千数百年前の唐代、その邯鄲を舞台に書かれた「枕中記」の主人公が宿で眠り込んだ間、自身に起こった栄枯盛衰体験は夢から覚めてみるとおかゆ一炊きほどの時間しか経っていなかった。そのはかなさをたとえて『邯鄲の夢』というが、住民たちはまさにその夢にうなされたのだった▼これは邯鄲だけの話ではない。中国では開発途上で放置された「鬼城(ゴーストタウン)」が各地に出現している。まさにバブル経済の結果で、今後の波及を考えると一炊の猶予も許されまい。

☆★☆★2014年10月28日付

 気仙地区と奥州市を結ぶ国道397号の付け替え道「津付道路」(延長2660b)が26日開通した。約10年をかけて建設が進められてきた待望の道路とあって、早速試走してみた▼頂上の種山高原を境に両圏域を結ぶこの国道は、昔から沿岸と内陸のヒトとモノを交流させてきた重要な路線だが、急勾配や急カーブが多く、冬季は積雪も加わって難所とされてきた。その難所の一部をトンネルや高架などによる付け替えで解消するという改良計画が伝わってきたときはほっとする思いがした▼小さい頃から奥州市出身の父親が実家に帰るたび連れて行ってもらったから、馴染みが深くかつ思い出の多い道路だが、当時はすれ違いも大変な狭さで、バスの所要時間も3時間以上を要しただろうか。種山高原の「姥石」という所で休憩し、そこにあった茶店で飲み物やお菓子を買うのが楽しみでもあった▼ほぼ現在の路線のように改良された時は「弾丸道路」などと呼ばれ、時間も大幅に短縮されるようになったが、なにしろ山岳を走る道路だから難所は依然残されている。が、津付道路の開通は将来の高速化に向けて一歩前進であることは確かだ▼大船渡側から最初のトンネルに入ると路面がコンクリート製なのか白く幻想的だった。旧道からいつも見上げていた二つの大橋が今度は足元にあるのは感慨深いものがある。物見高いのはみな同じらしく、行き交う車の多いこと。まだ付け替え中の部分もあり最終的には10分短縮されるらしく「復興道路」にふさわしくなろう。

☆★☆★2014年10月26日付

 24日大船渡市民文化会館で開かれた同会館の自主企画「西村元希ピアノリサイタル」は、地元大船渡市出身で気鋭のピアニストに対する大きな期待に十分応えられたことが、聴衆がすぐ立ち去らず余韻に浸っていたことでも明らかだった▼馴染みがあるメロディーを中心に選曲したと西村さんが語っていたように、誰でも知っている曲や、曲名は知らなくても聴いたことのあるメロディーが西村さんの華麗なタッチで紡ぎ出されると何とも心地よく、雑念も消える思いだったが、中でも「平城山」を作曲した平井康三郎が箏曲のイメージをピアノ曲に託した幻想曲「さくらさくら」には知らず引き込まれるものがあった▼箏曲のイメージを大切にしながらしかしピアノの持てる力を縦横に生かした華麗な縦糸、横糸が織りなす嫋々たる世界に誘い込まれると、目をつむりながら聴いていても網膜の中に昔から大切に育まれてきた日本の自然情景、人々の営みを包み込んできた情感のようなものが次々と流れていくのだった▼世界でも屈指の19人ものノーベル賞受賞者を出したことについて二、三の識者が同様のことを指摘していたがその符合に驚く。それは日本人が優秀だのどうだのということではなく、美に対する感覚が自然に導きだしたものではないかというものである▼こうすれば金になるといった目先の利益を追うのではなく、世のため人のために尽くそうという思いやりと優しさが自ずと昇華したのだと。「さくらさくら」にそんな世界が見えたような気がする。

☆★☆★2014年10月25日付

 危惧していた通りの風向きになりそう。太陽光発電のことである。高い買い取り価格が魅力となってネコもシャクシも参入することになったはいいが、大手電力5社が買い取り契約手続きを中断したことから、「太陽がいっぱい」の状況に暗雲が立ちこめ始めたのである▼福島原発事故が再生可能エネルギー(再生エネ)の登場を促し、中でも参入がしやすい太陽光発電に人気が集中。全国のいたるところ燎原の火のように広まって脱原発の道筋をつけたが、国の制度設計には最初からムリがあった。買い取り価格が市場価格の2倍に相当する1`当たり42円で最長20年間買い取るという設定が妥当かどうか、素人でも分かることである▼ドイツではこの買い取り価格が電力料金を押し上げ、2倍になったところで消費者の反乱が起きた。その先例を見ればこれは慎重な価格設定が不可欠だったのに対し、急速な普及を目指す当時の菅政権はインセンティブ(刺激)重視に走ったため42円という高値が打ち出されたのである▼だが、原発停止で油やガスの輸入比率の増加を余儀なくされてコスト負担が激増している電力会社が納得せず、買い取り価格は36円、32円と引き下げられたがそれでも限界として大手5社はもはや売電申請を受け付けないという挙に出た▼これを受けて経産省も見直しを打ち出したが、そもそも菅元首相の「思いつき」から生まれたこの制度は出だしから疑問がまとわりついていた。後発組がカンカンでも本人からは「勘弁ね」の言葉もない。

☆★☆★2014年10月24日付

 「責任」と軽々しく口にするが、その責任を取るのが難しいのが世の中というものである。あの人もこの人も責任を取らずにのうのうとしている。そんな実例をたっぷり見てきただけに、おもわず「おっ」と引きつけられた。「赤字自腹補填」と昨日の岩手日報が報じた「奇特」な例がそこにあったからである▼大阪府・市と地元経済界によって設立された「大阪観光局」が開催したイベントが大赤字となった。その責任は誰が取る?いわば第三セクターなので、経済界の構成員は「オラ知らね」と横を向き、府や市の責任者もむろん自らが赤字をかぶる気などさらさらあるまいから、最後は税金で補填という形でチョンとなるのが通例▼ところが、同観光局に民間から起用された加納国雄局長が「赤字の責任は大半が自分にある」として自腹で赤字を補填したというのだ。まさにあっぱれという他はない。当初約1億5千万円と見込んでいたそのイベントのチケット代が実際は3300万円の計上にとどまってしまったが、それを税金で穴埋めはできないとして実行委員長を務めた加納局長が自ら2700万円を引責負担することにしたというのだ▼同局長は米英両国の企業で活躍したビジネスマンで、香港政府観光局の仕事を委任された実績もあって初代観光局長に起用されたのもそのため▼イベントの失敗は不測の事態がもたらしたもので、本人の責任だけを問うわけにはいかない種類のものだったが、弁解もせず自ら切腹した(これを自腹という)侠気は見事だ。

☆★☆★2014年10月23日付

 小中学校の「道徳の時間」を教科に格上げするという中教審の答申に対し、さっそく一部のマスメディアは「おそれ」論を展開しているが、道徳や倫理というものは社会を潤す潤滑油であることは論をまたない。「修身の復活?」何をバカな▼道徳教育が必要かどうかという大前提を考える前に、家庭教育の中でしつけをどうするかとなればおそらく9割はその必要性を認めるはずである。人間は性善なるものではなく、幼児期から物事の善悪というものをきちんと教えなければ判断力の元にはならない▼だからこそ戦前教育には「修身の時間」があり、個人の操行が甲乙丙丁で評価された。その是非はにわかに論じられないが戦後はそれが軍国主義教育につながったとして否定され、道徳の時間の復活にも日教組などから抵抗があったのも事実である▼しかし人間としてのたしなみ、社会の決まり、公衆道徳などの精神的な骨組みを教えることは決してマイナスどころか人間性を涵養する重要な要素となろう。ゆえに教科とすることに小欄は全面的に賛成で、教科化すれば世の中が右傾化するなど小児病的考え方には与しない▼これはもはやしつけの範囲なのだろうが、交通機関の中で「食事をする」という光景を目にするようになったのはつい近年のことである。公衆の面前での化粧も同様、これは不文律として大人の禁忌行為であり、古い世代はそうしつけられたはずである。そのしつけを知らない親は子にもしつけられない。道徳教育は社会再生の線上にあるのだ。

☆★☆★2014年10月22日付

 改造安倍政権の「目玉商品」だった女性閣僚大量(といっても5人だけだったが)の登用が弾みをつけるどころか逆の結果となって「アテと何とかは向こうからはずれる」という格言を思い出した。それにしても人間のやること、どこに落とし穴があるか分からない▼小渕経産相、松島法相の辞任は支持者もさることながら、本人が何より落胆していることだろう。何せ綺羅と輝く希望の星が一転して奈落の底に突き落とされたに等しいからである。その落差が大きいだけに打撃も半端ではあるまい。少なくとも将来の総理候補と目された小渕氏にはその目も消えてしまったことは痛かろう▼以前は政治家の不祥事が明るみに出ると決まって弁解に用いられる言葉が「秘書が、秘書が」だったが、小渕氏の場合は秘書もさることながら、選挙の手練れが集まっているはずの後援会が本人同様世間知らずだったことは疑いない▼公職選挙法は天網などではなくかなりのザル法だと言われてきた。その通り国政選挙でも地方選挙でも法網をかいくぐったあの手この手が伝わってくるが、見つからなければそれまでで、疎にして漏らさずどころか時には大魚すら素通りするらしい▼道連れになった形の松島氏の場合、配ったうちわが「有価物」とみなされ網の目に引っかかったが、これが買収となるかどうか法と常識の乖離が気になるところだ。この一件がやがては法の拡大解釈につながり、公選法が天網のごとく「恢々」となれば松島氏はもって瞑すべしというところか。


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