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世迷言

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☆★☆★2014年07月22日付

 豊田通商が近畿大学と提携してマグロの完全養殖を手がけることになったという報道にわが意を得た思いがする。その研究と実用化で蓄積されるノウハウは必ず他の魚種の完全養殖につながると期待するがゆえにである▼同社は10年からマグロの養殖事業に取り組んできたが、体長5a大の稚魚を外部から購入して、「ヨコワ」と呼ばれる30a大まで育ててから養殖業者に売るだけと、いわば妙味の薄い中間育成だけに甘んじていた。これを卵から人工的に孵化させ育成して出荷用マグロに成長させるというこの事業は水産ニッポンに新たな活路を開くだろう▼世界一のウナギ消費国なのにニホンウナギが絶滅危惧種に指定されてからあわて出したように、消費だけでなく資源の安定と種の保存等にも力を入れる必要性を問われているのだが、同じく世界一の消費国であるマグロもその主要輸入国であるために世界的な乱獲を招く結果となったことが国際的な批判を浴びていることからも「自給自足」が今日的課題となっているのである▼同社では長崎県の五島列島に設けた養殖場で本格的な育成に乗り出し6年後には年間30万匹の稚魚を生み出す計画だ。30万匹の稚魚が確保されれば年間に10万匹の出荷用マグロが確保できる計算といい、いまや「マグロの近大」と評価される近畿大学の技術をフルに活用し、将来海外展開も視野に入れる▼この成功は各種魚類の完全養殖に道を開く可能性が大であり、それがやがて気仙沿岸の養殖振興にも寄与することを願うのである。

☆★☆★2014年07月20日付

 ハト派とタカ派は何をもって分類、区別されるのだろうか。平和的と好戦的?まさか。小生はタカ派と自認はしているが、決して好戦的ではない。しかしハトになってむざむざとタカの餌食になるよりは爪を研ぐ側にいたいと思う▼というわけで、日本という国が決して他国の餌食になるようなことは絶対あってはならないと考え、そのためには見かけだけでもタカの格好をしている必要ありと考えている。国際社会も人間と同じでお人好しだけで済むわけではない▼非武装中立を掲げておけば誰も攻めて来ないという空想的平和主義がどうやら通用しない現実が存することは領土問題に見る中国や韓国の露骨な態度で見事に証明されたが、元航空幕僚長の田母神俊雄氏が「プロレスラーに殴りかかる者はいない」と書いているのはある意味で真実で、恐そうな相手、ひ弱に見えても抵抗しそうな相手に見せることも大事なのだ▼強く出ると「はいそうですか」とすぐもみ手をしてきた従来の日本外交から脱し、独立国としての矜持をきちんと示すために特定秘密保護法や集団的自衛権の行使といった手法が採られたことに今なお異論があるが、危機が迫ると砂に頭を突っ込んで「見なければ清し」を決め込むダチョウのようであってはなるまい▼だが、触らぬ神にたたりなしの風潮は列島を覆っている。誰も戦争をする国など望むはずはないのに、その手法をめぐってハト派とタカ派とに分かれるのだが、論議するのもいやだというダチョウ派もあるのもまた事実である。

☆★☆★2014年07月19日付

 アムステルダム発クアラルンプール行きのマレーシア航空機がウクライナ東部のドネツク州内に墜落した。乗客280人と乗員15人の全員が死亡したとされる。ミサイルで撃墜された可能性があると知って思わず大韓航空機撃墜事件を思い出した▼民間機の墜落はほとんど事故によるものだが、旧ソ連時代、領空侵犯をした大韓航空機がソ連防空軍の戦闘機によって撃墜されたという事件は人為的事故の数少ない例外となった。誤って航路をはずしただけかもしれない民間機を情容赦なく撃墜するとはと当時ソ連をなじる声が世界に満ちあふれた▼この時の乗客乗員は269人と今回の犠牲者数とほぼ同じ。この中には日本人28人も含まれており、それだけにソ連軍の非情な行為に日本人の多くが憤激したのは当然だろう。この撃墜は故意か過失かいまだその真相は闇の中だが、マレーシア航空機の場合も真相解明には厚い壁がたちはだかっている▼ミサイルで撃墜されたとなれば当然嫌疑はウクライナ内の親ロシア武装勢力にかかる。だが親ロシア分離独立派の「ドネツク人民共和国」の指導者は「われわれの武器は3000bの射程がせいぜい。2万b近い高度を飛ぶ旅客機などとても撃ち落とせない」と否定声明を出した▼だが、地対空ミサイルが使われた可能性は否定できないようだ。米当局は真相解明に乗り出したが、現地は親ロシア派の拠点、現地踏査は極めて困難だろう。しかし隠せば隠すほど親ロ派の裏で糸を引く存在があぶりだされてくるはずだ。

☆★☆★2014年07月18日付

 こんな薬が発明されたら世の中がらりと変わるだろう。そして発明者は億万長者、それも世界一の金持ちになるのはまちがいない。しかしいまだ発明されないところを見るとこれは神を畏れぬ所業なのだろうか?▼世界中が「あったらいいな」と思っているその薬とは「養毛薬」と「老化防止薬」の二つである。前者はすでにらしき物はあるにしても禿頭がふさふさに変化するほどの薬効を期待するのはムリで、後者もまたそれらしきうたい文句のサプリ類はあまたあるが、薬事法が認めるような本物にはほど遠い▼神、いや髪に見放された上に、年相応とはいえ脳も体もすっかり老化している小生には二つともあったらいいなという以前に渇仰の対象なのだが、しかし頭頂がふさふさになってもいまや何の見返りもないし、もしそんな薬が登場しても高くて買う気にもならないだろうから見放されたままでよかろう▼となると、残るは老化防止薬の方だが、小生の寿命があとどれぐらいかはともかく、単に長生きするだけではつまらないし、かといって若返りを求めるなど至難の業であり、いくら強欲でそこまでは望まない。ただ、心身ともに現在のレベルのままで寿命の終わりを待つことができたらとだけは望みたい▼老化防止は細胞を活性化すればいいのだから、STAP細胞はともかく「老化STOP細胞」の発明は不可能ではないような気がする。もっともこの夢の新薬が生まれて不老長寿社会が現出すると困る一面もでてくるから、神様がお許しにならないのだろうかも。

☆★☆★2014年07月17日付

 先日のテレビ番組で北海道は芽室町の農産物販売所を紹介していたが、野菜の販売だけでなく観光の名所ともなっていることに感心し、同時に先端だけを追い求めず産業の骨格とも言うべき第一次産業をもう一度見直すべき時ではないかと考えた▼十勝平野にあって帯広にも近いこの町は北海道でも数少ない人口増加地域で現在1万8千人を数える。帯広のベッドタウンとなっていることもあろうが、畑作や酪農など農業生産に力がいれられ、実際それが奏功しているから農業従事者が増えていることも見逃せない▼映像でみるまさに北海道ならではの広大な農地から収穫される野菜の品種も多く、野菜だけは地場物だけで賄えるような豊富さは羨ましいほどだ。その地場野菜を販売するJAの大きな販売所は野菜のデパートといった趣きで、地元の買い物客だけでなく観光で訪れる人たちも必ず立ち寄る場所になっているようだ▼一時は衰退の一途をたどるかにみえた第一次産業だが、そのために食糧の自給率が低下し多くを輸入に依存するようになってしまったその反省に立てば、農業や水産業にもっと光をあてなければならないのは自明だろう。実は東日本大震災からの最も早い復興策は浸水域を農地にすることだと愚考しているから余計にそう思うのだろう▼かさ上げした土地に客土をし、野菜や花卉栽培の基地とすれば即生産が始まり、観光農園にもなろう。なにせ日照時間も多く冬も温暖な気仙は県内でも農業の最適地なのだ。などと言っても叱られるだけか。

☆★☆★2014年07月16日付

 一生涯まみえることなく終わる日本語は星の数ほどあるにしても、こんな言葉があったのかと対面後、辞書の世話になる機会の何と多いことか。若い頃学術文学書のたぐいはおろか小説もろくに読まなかった科なのだが、日常使われている言葉でも辞書を引いてみて正解を知ることもこれまた多い▼単語ノートを作る気になったのは「遠野物語」を書いた柳田国男の著作を読んだ時からである。最初の1ページから見たこともない単語がずらりと並んでいたからだ。そのノートの最初に記録されているのが「斫る」で、これは「きる」と読むことが分かった。その後壁などを砕く「はつり」という作業を知ったが、その文字もまた「斫り」と書くと教えられた▼この柳田作品はあまりに難解文字だらけでついに読破を断念してしまったが、漢籍の素読で鍛えた明治時代の作家の豊饒な語彙にはただただ感嘆し、後輩のわれわれがいかに勉強不足なのか改めて痛感した。単語ノートだけはいまも続けているが、読み返すことがないので「宝の持ち腐れ」になっているのも事実という情けなさである▼それにしても明治時代にはまだふんだんに使われていながら、時代を経るにつれて死語と化していった漢字はおびただしいはずである。柳田作品の中から拾い上げはしたものの、いまだ意味も読みも不明のままになっている文字が相当数ある▼せめて読みだけでもと思うのだが、これは大漢和辞典とでも首っ引きするしかあるまい。それにしてもおそるべし明治の識字率。

☆★☆★2014年07月15日付

 時間をかけて説明すれば分かるというが、それは原則論であるまいか。集団的自衛権行使容認の閣議決定に至るまでもっと説明が必要だった、拙速だったという意見をいまも耳にするが、無関心だったり、はなから聞く耳持たぬ相手にどれほど説明すれば納得させられるだろう▼この閣議決定をめぐる是非についての世論調査結果は、調査主体によって違った答えが出るのは、設問の仕方が「社論」に沿うような仕組みになっているからで、ジャーナリズムといえども「身過ぎ世過ぎ」の世界だからだろうか。しかしメディアの大半が反対派で、その「戦争をする国になる」というリードが効いたか、安倍政権の支持率は5割を割った▼それもこれも拙速過ぎたという批判はこういう場合必ず登場する論理であり、どのような政権でも重要法案を提出し成立を求めようとすればこの石つぶてを受けてきたのである。時間をかけるのは民主主義にとって重要な要件だが、しかしそれは理解しようとする態度の持ち主には有効であっても、その気のない向きには時間の浪費に終わるはず▼そう言っては身も蓋もないのでジャーナリズムが持ち出す公式論が拙速、世論軽視といった文言である。国も個人も単独では生きていけないのだから、いざという時は助け合おうというのがこの自衛権の基本精神なのだが、どこかでボタンが掛け違った▼歴代首相が誰も嫌がり先送りしてきたこの問題に敢然と挑んだ安倍首相の勇気と決断を小欄は評価し、為にする批判を批判したいのである。

☆★☆★2014年07月13日付

 東日本大震災の月命日が過ぎた翌朝の午前4時過ぎに発表された津波注意報で沿岸地区は太平の眠りを覚まされた。幸い悪夢の再来とならずに済んだが大船渡で20aの津波が観測されたということ自体、地震と津波の関係を肝に銘じておく必要がある▼それにしてもこの日の地震速報は早かった。地震と感じる以前に防災無線が地震を伝えるというのは、震源に近いところの地震計が感知したものを瞬時に広域へ伝えるシステムが整備されたためだろうか。速報を聞いてからぐらぐらと来るというのは妙なもので、もしかしたら「地震予知」が可能になったのかと思いたくなる▼注意報、警報が「発令」から「発表」と改められたのはいつ頃からなのかと疑問を抱いていたら、気象庁は元々「発表」としていたものをマスメディアが勝手に「発令」としていたのだとネット上の裏話で知った。発令とは命令を発することだから、命令・監督権限を持たない気象庁にはできないということらしい▼戦時中は「空襲警報」が「発令」されていたので津波警報もその連想から「発令」と誤り伝えられるようになったようで、メディアに罪はないが、「発表」に当方が違和感を覚えたのはやはり年のせいなのであろう▼いずれ「避難勧告」や「避難指示」程度で済んだのはよかったが、なんとか「避難命令」だけは発令されないよう願いたいものである。もっとも命令に従うのはいやだという向きもあるだろう。しかし命じられる前に逃げることだと大震災は教えてくれたのだ。

☆★☆★2014年07月12日付

そん 在韓日本大使館がソウル市内のホテルで予定していた自衛隊創立記念行事がホテル側の都合で「ドタキャン」となった。損得勘定より感情が大事、つまり同胞の反日感情に気兼ねしてのことらしいが、さてさて韓国よどこへ行く?▼この行事は11日に開催の予定だったがホテル側から前日になって場所を提供できないと断りが入ったという。国内でこともあろうに自衛隊の行事などとんでもないと一部の韓国メディアが報じたことにホテル側がおそれをなしたようで、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の連鎖が今後も続くだろうかと思うとうんざりだ▼ドタキャンによる迷惑と損害をどう償ってくれるのか、その辺のいきさつについて日本側の報道はまったく触れていないが、もし立ち場が逆だったら国辱ものの大騒ぎになっていただろう。偏狭なナショナリズムを戒め、何かあれば「冷静に冷静に」と諭してきたわが国のメディアはだからこそ日本側の冷静な対応をさぞほめたたえるはずである▼いかに利益追求が目的の商売でも、時には国民の感情に配慮しなければならない場合もあるだろう。だが、日本に限って言えばそういうケースはほとんどまれで、もっとも気を使う相手は顧客なのである。だが、韓国では顧客感情に加えて国民感情にも十分な配慮が求められるようになった?▼このホテルはロッテの経営で、だからこそ余計に神経をとがらせたようだが、こういう不毛な隣人関係をもたらした朴大統領の対日戦略はあちこちに新たなひずみを生みかねまい。

☆★☆★2014年07月11日付

 もし遊具というものがなかったら、人間が持つ運動能力はここまで発揮できなかったろう。体操の全日本種目別選手権の模様をテレビで見ての実感である▼それは、今月上旬に開かれた第68回全日本体操種目別選手権に出場した弱冠17歳の白井健三選手のほれぼれするような美技に見とれての感想である。会場で見たら迫力も感動もひとしおであろうと残念に思った。その昔、陸前高田市の気仙中学校体育館で行われた体操のアトラクションを見て、選手たちの鍛えられた体がまるで彫刻のようだったことをなぜか思い出した▼床運動に出場して16・100という高得点を出して見事優勝した白井選手の演技は着地こそ多少揺らいだものの、国際体操連盟から「シライ」と命名された回転とひねりを何度も繰り返す妙技はとても人間業とは思えぬ素晴らしい出来栄えで、ほとほと感心させられたのである▼体操一家に育った環境も彼の能力を高めたことはむろんだろうが、小さい頃からトランポリンなどで遊んできた、つまり楽しさが彼の可能性を引き出したことは疑いない。遊具とは単なる遊び道具ではなく、子どもを運動の世界に導く貴重な教師なのではあるまいか▼楽しくなければ子どもは興味を持たない。そして遊んでいるうちにより上の遊具、つまりレベルが欲しくなるのである。逆上がりすら苦労した運動音痴がお門違いなことを書くが、得意なものを伸ばす環境を育てるのも大切なことで、大人はもっと色々な遊具を考えてみる必要があるだろう。


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