かつて東北地方の山奥に「マタギ」と呼ばれる狩猟民がいた。「山立(やまだち)」とも呼ばれ、冬山にクマやシカなどの獲物を追った。マタギは一般の猟師と違い、山の神を信仰し、山の掟を守り、山言葉を使うなど独特の習俗を持っていたことでも知られる。
マタギの語源については、又になっている木の枝を利用して獲物を追ったことから「又木」、山立が「マダチ」「マタギ」に訛ったなど諸説ふんぷん。民俗学者の柳田国男は、マダという木の皮を剥ぎその繊維で織った着物を着ていた「マダハギ」説を唱える。
マタギの里は、県内では沢内村や胆沢町など奥羽山脈の地に多い。では、霊峰・五葉山を抱く北上山地の一角にある気仙地方には、マタギは存在しなかったのだろうか。これまで気仙に関する古記録などにマタギについての記述はないとされていたが、江戸時代に気仙郡の代官所が置かれていた大肝入吉田家文書に興味深い記述が残されていた。「戊辰戦争で官軍が会津攻めを仙台藩に要請したとき、気仙郡からも農兵として山立猟師たちが出陣したという記録があります」というのは、元陸前高田市史編纂室長の荻原一也さん(78)。
山立は、単なる狩猟民ではなく、中には険しい山中を霊場とする山岳信仰の修行者たちもいた。彼らは山伏神楽や鹿踊りの伝承者でもあった。時代の移り変わりとともにマタギの生活の場が失われ、山里の理想郷も大きく変貌したが、これまで彼らが守り続けてきた文化は、今でも郷土芸能やまつりの心の中に脈々と受け継がれている。